意味
「増上慢(ぞうじょうまん)」とは、悟りを得ていないのに得たと思い込み、おごり高ぶる心のことです。
もとは仏教の言葉です。
そこから広がって、自分の力を過信して思い上がった様子や、そのような人も指すようになりました。
語源・由来
この言葉は仏教の用語で、法華経の方便品(= 第二章)にも出てきます。
釈迦が弟子の舎利弗に三度願われて教えを説こうとしたとき、集まっていた五千人が席を立ち、礼をして去っていきました。
その理由を述べた次の一節に、この語が出てきます。
此輩罪根深重及增上慢、未得謂得、未證謂證、有如此失、是以不住。
(この人たちは罪の根が深く重いうえに増上慢で、まだ得ていないものを得たと思い、まだ悟っていないことを悟ったと思っている。このような過ちがあるので、その場にとどまらなかったのである。)
釈迦は黙ったまま引き止めず、そのあと舎利弗に次のように告げています。
如是增上慢人、退亦佳矣。
(このような増上慢の人は、退いたのもまたよい。)
使い方・例文
名詞のほか、「増上慢な態度」のように形容動詞としても使います。
- 一度優勝しただけで増上慢になり、練習を休むようになった。
- 先輩の忠告に耳を貸さない増上慢な態度が、周りの反感を買った。
- 少しほめられたくらいで増上慢に陥らないよう、自分を戒めている。
類義語・関連語
どちらも、自分を実際より偉いと思って思い上がる様子を表す言葉です。
「増上慢」と「我慢」は七慢の仲間
仏教では、思い上がる心を「慢」と呼び、これを七つに分けて七慢としています。
慢・過慢・慢過慢・我慢・増上慢・下劣慢・邪慢の七つで、ふだん「耐える」という意味で使う「我慢」と同じ字の語も入っています。
方便品の詩の部分でも、増上慢と我慢が並んで出てきます。
比丘比丘尼、有懷增上慢、優婆塞我慢、優婆夷不信
(男女の出家者は増上慢を抱き、在家の男性信者は我慢を抱き、在家の女性信者は信じようとしない)


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