意馬心猿

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四字熟語 仏教用語
意馬心猿
(いばしんえん)
異形:心猿意馬

6文字の言葉」から始まる言葉

やるべきことがあるのに、ついスマホに手が伸びてしまう。集中しようとすればするほど、雑念が湧いてきて止まらない。
このように、自分の心であるはずなのに、まるで暴れ馬や騒ぐ猿のようにコントロールがきかず、煩悩や欲望で落ち着かない状態を「意馬心猿」(いばしんえん)と言います。

意味

「意馬心猿」とは、煩悩や情欲のために心が激しく乱れ、抑えがたいことのたとえです。

心の中に別の生き物が住んでいるかのように、あちこちへと思考が飛び回り、一箇所に留めておけない精神状態を指します。
語順を入れ替えた「心猿意馬(しんえんいば)」も全く同じ意味で使われます。

  • (い):心、思い、意志。
  • (ば):走り回る馬。
  • (しん):精神、意識。
  • (えん):騒ぎ立てる猿。

語源・由来

「意馬心猿」の由来は、古代中国の仏教典籍にあります。

仏教では古くから、修行の妨げとなる「制御しがたい心(煩悩)」を、動物の習性に例えて説いてきました。
「心」は、木から木へと休むことなく飛び移る「猿」に。「意(意志)」は、一度走り出すと止めるのが難しい「馬」に例えられます。

本来、主人が手綱を握って制御すべき馬や、おとなしくさせるべき猿が、勝手気ままに暴れ回っている状態。それが、私たちの心が欲望や妄想に振り回されている姿そのものであるとしたのです。

使い方・例文

「意馬心猿」は、単に「集中力がない」という軽い意味だけでなく、自分の内面にある欲望や迷いに翻弄され、精神が定まらない様子を表す際に使われます。
日常会話で頻繁に使う言葉ではありませんが、文章語として、あるいは自分の未熟さを戒める表現として用いられます。

例文

  • 試験前だというのに、遊びの誘惑に負けて勉強が手につかず、まさに「意馬心猿」の状態だ。
  • 坐禅を組んでみたものの、雑念ばかりが頭をよぎり、意馬心猿を鎮めることはできなかった。
  • 彼は「意馬心猿」の迷いを断ち切り、ようやく一つの道に進む覚悟を決めた。

類義語・関連語

「意馬心猿」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。

  • 心猿意馬(しんえんいば):
    「意馬心猿」と語順が逆になったもの。意味は全く同じです。
  • 煩悩(ぼんのう):
    人の心を乱し、悩ませる心身の働き。欲望、怒り、執着など。
  • 妄想(もうそう):
    根拠のないことをあれこれ想像すること。
  • 右往左往(うおうさおう):
    混乱してあちこち動き回ること。「意馬心猿」は「心の動き」を指すのに対し、こちらは主に「実際の行動」が定まらない場合に使われます。

対義語

「意馬心猿」とは対照的な意味を持つ言葉は、以下の通りです。

  • 一心不乱(いっしんふらん):
    一つのことに集中して、他のことに心を奪われないさま。
  • 明鏡止水(めいきょうしすい):
    邪念がなく、澄み切って落ち着いた心の形容。
  • 無念無想(むねんむそう):
    余計なことを考えず、心が無の状態にあること。

英語表現

「意馬心猿」のニュアンスを伝える英語表現には、仏教用語として定着しているものや、一般的な形容詞があります。

monkey mind

  • 意味:「(猿のように)落ち着きのない心」
  • 解説:仏教(Zen Buddhism)の概念として、英語圏でも知られる表現です。思考が絶えず飛び回る状態を指します。
  • 例文:
    Meditation helps to tame the monkey mind.
    (瞑想は、意馬心猿(暴れる心)を鎮めるのに役立つ。)

restless

  • 意味:「落ち着かない」「せかせかした」
  • 解説:精神的、または身体的にじっとしていられない状態を表す一般的な言葉です。
  • 例文:
    I felt restless and couldn’t focus on my work.
    (私は心が落ち着かず、仕事に集中できなかった。)

『西遊記』と心猿

「意馬心猿」という言葉を擬人化して描いた傑作が、中国の物語『西遊記』であると言われています。

暴れん坊の主人公「孫悟空」は、まさに「心猿(制御できない心)」の象徴です。
物語の中で、孫悟空がお釈迦様の掌から逃れられなかったり、三蔵法師に「緊箍児(きんこじ=頭の輪)」をはめられて戒められたりするのは、暴れる心を仏道の修行によってコントロールしようとするプロセスの暗喩(メタファー)だと解釈されています。

また、三蔵法師が乗る白馬は「意馬(走り回る意志)」の象徴とされることがあります。
実際、『西遊記』の各話のタイトル(回目)には、「心猿」や「意馬」という言葉がたびたび使われており(例:第七回「八卦炉中逃大聖 五行山下定心猿」など)、この物語が単なる冒険活劇ではなく、心の在り方を説く物語でもあることを示しています。

まとめ

私たちの心は、放っておけばすぐに「意馬心猿」となり、欲望や不安の赴くままに暴れ出してしまいます。
しかし、孫悟空が長い旅を経て仏に成ったように、暴れる心も日々の心がけ次第で少しずつ手なずけることができるはずです。

集中できない時や迷いが生じた時は、「今、自分の中で猿が騒いでいるな」と客観的に気づくことから始めてみてはいかがでしょうか。

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