新しい技術や知識が次々と生まれる現代でも、長く現場に立ち続けた人の「勘」や「経験則」に助けられる瞬間があります。
「老いたる馬は道を忘れず(おいたるうまはみちをわすれず)」は、長い年月を経て培われた経験や知恵の価値を説くことわざです。
なぜ「老いた馬」なのか。その背景にある歴史的なエピソードと共に、言葉の意味や現代での活かし方を解説します。
「老いたる馬は道を忘れず」の意味・教訓
「老いたる馬は道を忘れず」とは、経験を積んだ人は、物事の道理や判断を誤らないというたとえです。
また、年長者の知恵や経験は尊いものであり、困ったときにはそれを活用すべきだという教訓を含みます。
- 老いたる馬:長く生き、多くの経験を積んだ馬。転じて、経験豊富な老人やベテラン。
- 道を忘れず:かつて通った道を覚えている。転じて、正しい解決策や進むべき方向を知っていること。
体力や瞬発力では若者に劣るかもしれませんが、複雑な状況下での判断力や、過去の失敗から学んだ危機回避能力において、経験者は優れた力を持っていることを表しています。
「老いたる馬は道を忘れず」の語源・由来
この言葉の出典は、中国、戦国時代の思想書『韓非子(かんぴし)』の「説林(せつりん)上」にある故事です。
あらすじ
春秋時代、斉(せい)の宰相である名軍師・管仲(かんちゅう)と、大臣の湿朋(しっぽう)は、主君である桓公(かんこう)に従い、孤竹国(こちくこく)という国への遠征に出かけました。
戦いは長引き、春に出発した軍が帰る頃には冬になっていました。雪深い山中で軍勢は道に迷い、どちらへ進めばよいか分からなくなってしまいます。絶体絶命の危機です。
その時、管仲がこう言いました。
「老馬の智用うべきなり(老いた馬の知恵を借りるべきだ)」
そして、軍の中から年老いた馬を選んで解き放ち、その馬の後について行かせました。すると、老馬は迷うことなく雪の下にある道を見つけ出し、軍勢は無事に山を脱出することができたのです。
この故事から、「老馬の智(ろうばのち)」という言葉が生まれ、そこから「老いたる馬は道を忘れず」ということわざとして広まりました。
「老いたる馬は道を忘れず」の使い方・例文
現代では、ベテランのスキルを称賛する場合や、経験者の意見を尊重すべき場面で使われます。また、年配者が自分の経験を謙遜しつつも、自信を持って提供する場合にも使えます。
例文
- どんなにAIが進化しても、トラブル対応における彼の直感は正しい。まさに老いたる馬は道を忘れずだ。
- 新規プロジェクトが行き詰まった時、相談に乗ってくれたのは定年退職した元上司だった。老いたる馬は道を忘れず、そのアドバイスで突破口が開けた。
- 「老いたる馬は道を忘れずと言いますから、私の古い経験でも何かの役に立つかもしれません」
文学作品での使用例
- 「老いたる馬は道を忘れずとか申しますから、何ぞ御用に立ちますれば、老骨に鞭ちましても勉強致しましょう」
(中里介山『大菩薩峠』)
「老いたる馬は道を忘れず」の類義語・関連語
経験の価値を説く言葉は他にもあります。
- 亀の甲より年の功(かめのこうよりとしのこう):
年長者の経験や知恵は尊いものであるということ。
※最も一般的で親しみやすい表現です。 - 老馬の智(ろうばのち):
「老いたる馬は道を忘れず」の元となった四字熟語。経験豊かな人の知恵。 - 昔取った杵柄(むかしとったきねづか):
若い頃に身につけた技量や腕前は、年をとっても衰えないこと。
※「老いたる馬〜」が判断力や知識に焦点を当てるのに対し、「昔取った〜」は身体的な技術に対して使われることが多いです。 - 一日の長(いちじつのちょう):
知識や技能などが、他人よりも少し優れていること。また、年齢が少し上であること。
「老いたる馬は道を忘れず」の英語表現
英語圏にも、年長者の知恵や経験を評価する似たような表現があります。
An old horse knows the way.
- 意味:「老馬は道を知っている」
- 解説:日本語のことわざとほぼ同じ意味で使われる表現です。
Experience is the mother of wisdom.
- 意味:「経験は知恵の母」
- 解説:知恵は経験から生まれるという、普遍的な真理を説く格言です。
The devil knows many things because he is old.
- 意味:「悪魔は年をとっているからこそ、多くのことを知っている」
- 解説:スペインやラテン語由来のことわざ。悪魔が賢いのは、邪悪だからではなく、単に長く生きているからだ(=経験こそが知識の源泉だ)という面白い視点の表現です。
「老いたる馬は道を忘れず」に関する豆知識
セットで語られる「蟻」の知恵
実は『韓非子』の同じエピソードには、老馬だけでなく「蟻(あり)」も登場します。
道に迷ったときは「老馬の智」を借りて脱出しましたが、行軍中に水がなくて困ったとき、もう一人の賢臣である湿朋(しっぽう)がこう言いました。
「蟻は冬には山の南側に、夏には山の北側に巣を作る。蟻塚の下には必ず水脈があるはずだ」
掘ってみると、その通り水が出てきて軍は救われました。
『韓非子』では、この二つの話を並べて「管仲や湿朋のような賢人でさえ、困った時には動物や昆虫の知恵(=自然の理や、専門的な本能)を師とすることを恥じなかった。なのに現代の人間は、聖人の知恵を学ぶことを恥じている。なんと愚かなことか」と説いています。
単に「年寄りを敬え」という話ではなく、「分からないことは、それを知っている存在(たとえそれが馬や蟻であっても)から謙虚に学ぶ姿勢が大切だ」というのが、本来の深い教訓なのです。
まとめ – 経験という「道しるべ」
「老いたる馬は道を忘れず」は、単なる年功序列を勧める言葉ではありません。未知の困難に直面したとき、過去の事例や長く生きた者の記憶の中に、解決への「道しるべ」が隠されていることを教えてくれます。
新しいやり方も大切ですが、迷ったときこそ、歴史や先人の知恵(=老馬)に頼ってみる。その謙虚な姿勢こそが、私たちを正しい道へと導いてくれるのです。





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