何事もない平穏な日々の中で、雑念を払って清らかに澄み切った心を保つ状態。
このような状態を表すのが、「無事澄然」(ぶじちょうぜん)です。
意味
「無事澄然」とは、何事もない平穏なときこそ、雑念を払って水のように澄み切った心でいるべきだという意味です。
ただ暇を持て余すのではなく、静寂の中で能動的に自分自身を見つめ、心を磨き続けるという前向きな姿勢が含まれています。
- 無事(ぶじ):事件や事故がなく平穏なこと。
- 澄然(ちょうぜん):濁りがなく澄み渡っている様子。
語源・由来
中国・明代の学者である崔銑(さいせん)の語録集『崔後渠集(さいこうきょしゅう)』に由来します。
彼が残した「六然(りくぜん)」という、状況に応じて保つべき六つの心の状態を説いた教えの中に登場します。
「自処超然、処人藹然、有事斬然、無事澄然、得意澹然、失意泰然」という言葉からなり、何もないときには水のように澄んだ気でいるように、という平時における精神修養の重要性が説かれています。
日本では、幕末の志士である勝海舟がこの六然を好んで揮毫(きごう)しており、大倉集古館(東京)にその掛け軸が残されているほか、昭和の陽明学者・安岡正篤(やすおかまさひろ)が座右の銘として大切にしたことでも知られています。
使い方・例文
「無事澄然」は、平穏な時間を大切に過ごしている様子を形容したり、心の平穏を保つための目標としたりする場面で使われます。
- 休日もダラダラせず、無事澄然とした心で読書をする。
- 繁忙期を終えた今、無事澄然の心境で自分を見つめる。
- 何もないときこそ、無事澄然の心構えで準備を怠るな。
誤用・注意点
「無事澄然」を、単なる「ぼんやりしていること」や「無気力な状態」と混同してはいけません。
静止しているようでいて、内側には鋭い意識が通っている「動中の静」を指す言葉です。
類義語・関連語
「無事澄然」と同様に、邪念がなく澄み切った心境を表す言葉には以下のようなものがあります。
- 明鏡止水(めいきょうしすい):
邪念がなく、澄み切った心境のこと。 - 泰然自若(たいぜんじじゃく):
落ち着いていて、どんなことにも動じない様子。 - 安閑(あんかん):
のんびりとして、心に不安やわだかまりがないこと。
「無事澄然」と類義語の違い
これらの言葉は心が落ち着いている点で共通していますが、平時の心の在り方を指すか、緊急時の態度を指すかでニュアンスが異なります。
| 語句 | 使える状況 | 焦点となる状態 |
|---|---|---|
| 無事澄然 (ぶじちょうぜん) | 何事もない平穏な時 | 雑念を払い心を澄ませておくこと |
| 明鏡止水 (めいきょうしすい) | 状況を問わない | 邪念がなく澄み切った心境そのもの |
| 泰然自若 (たいぜんじじゃく) | 緊急時や困難な時 | 慌てず落ち着いて動じない様子 |
対義語
「無事澄然」とは対照的に、心が乱れて落ち着かない様子を表す言葉には以下のようなものがあります。
- 意馬心猿(いばしんえん):
煩悩や雑念が抑えられず、心が乱れて落ち着かないこと。 - 暗雲低迷(あんうんていめい):
悪い状態のままで、心が不安で暗く沈んでいる様子。 - 浮足立つ(うきあしだつ):
不安や恐れで落ち着きがなくなり、そわそわすること。
王陽明をも驚かせた、逆境で真価を発揮する「澄んだ心」
提唱者の崔銑(さいせん)は、権力者に屈せず投獄された過酷な状況下で、自らの精神を支えるためにこの境地を磨き上げました。
平穏な時に心を澄ませる「無事澄然」を実践してこそ、危機の瞬間に迷わず決断を下す「有事斬然」が可能になるとされています。
投獄されても一点の濁りもなく澄み切った彼の態度は、陽明学の祖・王陽明を深く感銘させ、救済のための抗議行動へと繋がったと伝えられています。



コメント