友人に無理やり誘われて参加したイベントが、思いがけず人生の転機になる。
あるいは、不運なトラブルをきっかけに立ち寄った場所で、一生の宝物に出会う。
本人の意思とは無関係に、周囲の状況や他人の誘いによって、結果として良い方向へ導かれる。
そんな不思議な巡り合わせを、
「牛に引かれて善光寺参り」(うしにひかれてぜんこうじまいり)と言います。
意味・教訓
「牛に引かれて善光寺参り」とは、他人の誘いや思いがけない偶然がきっかけで、良い方角へ導かれることのたとえです。
もともとは、信心のない人がひょんなことから信仰の道に入ることを指しましたが、現代では「たまたまのきっかけで良い結果を得る」という広い意味で使われます。
語源・由来

「牛に引かれて善光寺参り」の由来は、信濃国(現在の長野県)の善光寺に伝わる伝説に基づいています。
昔、ある強欲で不信心な老婆が布を干していると、どこからか現れた牛が角でその布を引っ掛けて走り去りました。
老婆は布を取り返そうと必死に牛を追いかけ、気づけば善光寺の本堂までたどり着いていました。
日が暮れて牛を見失った老婆が夜通し祈っていると、仏様の慈悲に触れてこれまでの罪を悔い、清らかな信仰心を持つようになったという物語です。
この伝説は、『沙石集(しゃせきしゅう)』などの古典にも類話が見られ、古くから「物事は意外な縁で好転する」という希望を込めて語り継がれてきました。
使い方・例文
本人の強い意志というよりは、受動的なきっかけからプラスの結果が生まれた文脈で使用します。
日常生活から仕事まで、幅広い場面で使われる言葉です。
例文
- 友人に無理やり連れていかれた演奏会で感動し、音楽の道を志すことになった。まさに「牛に引かれて善光寺参り」だ。
- たまたま雨宿りで入った書店で、仕事の悩みを解決する最高の一冊に出会えた。「牛に引かれて善光寺参り」とはこのことだろう。
- 「運動不足解消のために無理やり妻に散歩へ連れ出されたが、おかげで健康診断の結果が良くなったよ。牛に引かれて善光寺参りだね」
文学作品・メディアでの使用例
泉鏡花の代表作の一つにおいて、自発的ではない旅路をこの言葉で表現しています。
『歌行燈』(泉鏡花)
恩地喜多八という男が、自分の意志とは裏腹に、運命に誘われるようにして旅を続ける状況を語る場面で登場します。
ただ何となく、誘わるるがままについて来た、牛にひかれて善光寺参りとでも云うようなもので、
類義語・関連語
「牛に引かれて善光寺参り」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。
- 怪我の功名(けがのこうみょう):
失敗や過失が、偶然にも良い結果をもたらすこと。 - 瓢箪から駒(ひょうたんからこま):
意外なところから意外なものが出てくること。 - 棚からぼたもち(たなからぼたもち):
自分は何の苦労もしないのに、思いがけない幸運が舞い込むこと。
対義語
「牛に引かれて善光寺参り」とは対照的な意味を持つ言葉は、以下のような表現になります。
- 縁なき衆生は度し難し(えんなきしゅじょうはどしがたし):
仏の教えを信じない者や、救われる縁のない者は、どうやっても救うことができないということ。
(導かれて救われる「善光寺参り」に対し、導きそのものがない、あるいは拒絶する様子を指します。)
英語表現
「牛に引かれて善光寺参り」を英語で表現する場合、以下の定型句がニュアンスとして近くなります。
A blessing in disguise
- 意味:「見かけは災いだが、実は幸運をもたらすもの」
- 解説:当初は望まない状況(布を奪われるようなトラブル)が、最終的に大きな利益につながるという点で、このことわざの本質に近い表現です。
- 例文:
Losing that job was a blessing in disguise because it led me to my current success.
(あの仕事を失ったことは、今の成功に導いてくれた「牛に引かれて善光寺参り」のようなものだった。)
まとめ
「牛に引かれて善光寺参り」は、日常の何気ない出来事や、時には不本意なきっかけさえも、明るい未来への扉になり得ることを教えてくれます。
自分の意志で道を切り拓くことも大切ですが、時には周囲の「誘い」や「偶然」に身を任せてみることで、想像もしなかった素晴らしい景色に出会えることもあることでしょう。








コメント