逃がした魚は大きい

ことわざ 慣用句
逃がした魚は大きい(のがしたさかなはおおきい)

12文字の言葉」から始まる言葉
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「逃がした魚は大きい」の意味

「逃がした魚は大きい」とは、手に入れることができなかったものや、失ってしまったものが、実際よりも価値があるように思えたり、非常に惜しく感じられたりする心情を表すことわざです。

一度手に入れかけて逃してしまった魚が、記憶の中でどんどん大きく立派なものに感じられるように、私たちは得られなかった機会や失った人、物を過大評価してしまうことがあります。
これは、後悔や未練、あるいは「もし手に入れていたら…」という想像が、対象を美化してしまう人間の心理に基づいています。

「逃がした魚は大きい」の語源

このことわざの直接的な語源となる特定の故事や出来事は明確には伝わっていません。

しかし、文字通り、釣りの場面でやっとの思いで釣り上げかけた大きな魚を、あと一歩のところで逃してしまった時の悔しい思いが元になっていると考えられています。
釣り人の間で交わされる「あの時逃した魚は本当に大きかったんだ!」という会話が、比喩表現として日常生活の様々な場面に応用され、広く定着したのでしょう。

具体的な体験に基づいているため、多くの人が共感しやすい表現として使われています。

「逃がした魚は大きい」の使用される場面と例文

「逃がした魚は大きい」は、恋愛、仕事、学業、趣味、買い物など、日常生活のあらゆる場面で、手に入れ損ねたものへの未練や後悔を表す際に使われます。
何かを諦めたり、チャンスを逃したりした後に、「ああしておけばよかった」「あれは本当はもっと価値があったのではないか」と感じる、そんな心境を言い表すのにぴったりの言葉です。

例文

  • 「あの時、勇気を出して告白していれば、もしかしたら付き合えたかもしれないのに…。逃がした魚は大きいなあと、今でも時々思うよ。」
  • 「最終面接で落ちてしまった第一志望の会社、今になって考えると本当に良い会社だった。まさに逃がした魚は大きいと感じる。」
  • 「あの限定モデルのスニーカー、迷っているうちに売り切れてしまった。他のモデルを買ったけど、やっぱり逃がした魚は大きい。」
  • 「もう少し粘っていれば、あのプロジェクトは成功したかもしれない。逃がした魚は大きいが、次のチャンスに活かそう。」

「逃がした魚は大きい」の類義語

  • 後の祭り(あとのまつり):時期が過ぎてしまい、もはや手遅れであること。後悔の念を含む点で共通するが、「逃がした魚は大きい」は失ったものの価値を強調するニュアンスが強い。
  • 取り逃がした獲物は大きい(とりにがしたえものはおおきい):意味や使われ方は「逃がした魚は大きい」とほぼ同じ。より直接的な表現。
  • 機会損失(きかいそんしつ):選択しなかったことによって、得られたはずの利益を逃してしまうこと。ビジネスや経済の文脈で使われることが多い。

関連する心理学の概念

  • 損失回避バイアス: 人は利益を得ることよりも、損失を避けることを強く意識する心理的な傾向。手に入れ損ねたものを「損失」と捉え、過大に評価してしまうことに関連する。
  • 認知バイアス: 自分の思い込みや周囲の環境要因などによって、非合理的な判断をしてしまう心理現象。「逃がした魚」を美化してしまうのも、認知バイアスの一種と考えられる。

「逃がした魚は大きい」の対義語

「逃がした魚は大きい」に直接的な対義語となることわざは多くありませんが、対照的な考え方を示す言葉はいくつかあります。

  • 足るを知る(たるをしる):自分がいま持っているものだけで満足するという考え方。得られなかったものを惜しむのではなく、現状に感謝する姿勢を示す。
  • 棚からぼた餅(たなからぼたもち):思いがけない幸運が舞い込むことのたとえ。「逃がした」のではなく、予期せず良いものを「得た」状況を表す。

「逃がした魚は大きい」の英語での類似表現

英語にも、「逃がした魚は大きい」と似たような状況や心理を表す表現があります。

  • The fish that got away was the biggest.
    意味:逃げた魚が一番大きかった。日本語のことわざとほぼ同じ意味で使われる直訳的な表現。
  • The grass is always greener on the other side (of the fence).
    直訳:柵の向こう側の芝生は常により青い。
    意味:隣の芝生は青い。他人のものや、自分が持っていないものが良く見えてしまう心理を表す。直接「逃した」状況ではないが、手元にないものを羨望する点で共通する心理がある。

まとめ – 「逃がした魚は大きい」が示す心理と教訓

「逃がした魚は大きい」ということわざは、手に入れそこねたものへの未練や後悔という普遍的な心理を表現しています。
過去の選択を悔やむ気持ちは自然ですが、この言葉は同時に現在持っているものの価値を見つめ直す機会も与えてくれます。
「逃した魚」だけでなく「手の中の魚」の大切さを認識し、過去への後悔にとらわれすぎずに前進するバランス感覚をこのことわざは教えています。

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