最初から完璧にできる人などいません。才能や技術がなくても、とにかく何度も挑戦し続けていれば、いつかはまぐれで成功を掴むことができるかもしれない。
そんな「行動量(試行回数)」の大切さを説く(あるいは無鉄砲さを表す)のが、
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」(へたなてっぽうもかずうちあたる)です。
意味
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」とは、技術がない者でも、何度も繰り返し試みれば、まぐれで成功することがあるということ。
- 下手な鉄砲:狙いが定まらない未熟な射撃。未熟な腕前。
- 数撃ちゃ当たる:何度も弾を撃てば偶然命中する。試行回数を重ねればいつかは成功する。
語源・由来
特定の歴史的な物語(故事成語)に由来する言葉ではありません。言葉の通り、鉄砲(銃)の射撃の様子から生まれた慣用表現です。
火縄銃などの古い銃は現代の銃器に比べて命中精度が低く、とくに腕の未熟な者が撃つ場合は狙い通りに当てるのが困難でした。
しかし、どれほど下手であっても、弾を大量に撃ちまくっていれば、偶然そのうちの一発くらいは標的に命中することもあるという、物理的な現実から定着した言葉です。
使い方・例文
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」は、質よりも量を重視する戦略をとる場面や、失敗を恐れずにひたすら挑戦を繰り返す自分自身を鼓舞する(あるいは開き直る)場面で使われます。
- 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるで、多くの顧客に営業をかける。
- 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たると割り切ってアイデアを出す。
- 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるの精神でどんどん応募する。
使う際の注意点
この言葉には「あなたは下手くそ(未熟)だ」という大前提が含まれています。
そのため、目上の人や他人の努力に対して「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たりますから、頑張りましょう」と励ましのつもりで使うと、相手の能力を見下していることになり大変失礼にあたります。
基本的には「自分の挑戦に対する謙遜や開き直り」、あるいは第三者の「質より量を優先する戦法」を客観的に表す際に使うのが無難です。
類義語・関連語
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。
- 千三つ(せんみつ):
千の計画や試みのうち、成功するのは三つほどしかないということ。
確率は低くても大量にこなすことで成功を拾うという意味で、ビジネスや不動産業界でよく使われる言葉。 - 犬も歩けば棒に当たる(いぬもあるけばぼうにあたる):
何かを行動していれば、思いがけない幸運に出会う(または災難にあう)ということ。
じっとしていないで行動を起こすことのたとえ。
対義語
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」とは対照的な意味を持つ言葉は以下の通りです。
- 一発必中(いっぱつひっちゅう):
一度撃てば必ず命中させること。数に頼らず、念入りな準備と確実な技術を重視する姿勢。 - 百発百中(ひゃっぱつひゃくちゅう):
撃った矢や弾がすべて命中すること。転じて、計画や予想がすべて思い通りになること。
英語表現
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」を英語で表現する場合、質より量をこなす様子や、まぐれ当たりを動物に例えたイディオム(慣用句・熟語)が使われます。
Throw enough mud at the wall and some of it will stick
直訳:壁に十分な量の泥を投げつければ、いくつかはくっつく
意味:質が悪くても、大量に試行すればいくつかは成功する(成果につながる)ということ。
- 例文:
I will throw enough mud at the wall and some of it will stick.
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる(泥を投げ続ければくっつく)だろう。
Even a blind squirrel finds an acorn every once in a while
直訳:目の見えないリスでも、たまにはどんぐりを見つける
意味:能力のない人でも、何度もやっていればまぐれで成功することがある。
- 例文:
Even a blind squirrel finds an acorn every once in a while.
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる(盲目のリスでもどんぐりを見つける)だね。
命中率の低さを「数」でカバーした戦国時代の火縄銃
このことわざの「鉄砲」とは、戦国時代に普及した火縄銃のことです。
当時の火縄銃は威力こそ絶大でしたが、一発撃つたびに弾と火薬を込め直す必要があり、次弾発射まで相当な時間がかかりました。
加えて個人の命中精度にも限界があったため、一発の正確な狙撃よりも、多くの銃を一度に運用して弾幕を張る集団運用の発想が生まれます。
長篠の戦い(1575年)で織田信長が大量の火縄銃を集中投入して武田軍を撃破したことは『信長公記』などの一次史料からも確認されており、「精度より数」という発想が戦場でも有効だった時代があったことが、このことわざの現実的な背景として見えてきます。







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