意味
「千慮の一失」は、どれほど優れた人物であっても、数多くの判断の中には一つぐらい誤りが紛れ込むものだという意味です。
- 千慮(せんりょ):あれこれと深く考えること。
- 一失(いっしつ):一つの失敗。
語源・由来
「千慮の一失」の由来は、中国の歴史書『史記』に記されたエピソードにあります。
古代中国の楚漢戦争のさなか、漢王・劉邦に仕える名将・韓信が、敵国の武将であった李左車を捕らえ、今後の戦略について教えを請いました。
その際、敗軍の将である李左車が自身の意見を述べる前に、謙遜して「賢い人でも千回考えれば一度は間違いがあり、愚かな人でも千回考えれば一度は良い知恵が出るものです」と前置きしました。
この言葉の前半部分が独立し、優れた人物の思いがけない失敗を指す言葉として現代に伝わっています。
使い方・例文
「千慮の一失」は、日頃から優秀でミスの少ない人が予期せぬ失敗をした場面で使われます。
- 母が塩と砂糖を間違えるとはまさに千慮の一失だ。
- 完璧な計画に見えたが計算ミスという千慮の一失があった。
- ベテランの彼が道具を忘れるとは千慮の一失としか言えない。
類義語・関連語
「千慮の一失」と似た意味を持つ言葉には以下のようなものがあります。
- 弘法にも筆の誤り(こうぼうにもふでのあやまり)
書道の達人である弘法大師でさえ書き損じることがある。 - 猿も木から落ちる(さるもきからおちる)
木登りが得意な猿でも時には木から落ちることがある。 - 河童の川流れ(かっぱのかわながれ)
泳ぎが得意な河童でも水に押し流されることがある。 - 上手の手から水が漏る(じょうずのてからみずがもる)
どんなに上手な人でも時には失敗することがある。 - 念者の不念(ねんじゃのふねん)
普段から注意深い人でもうっかりミスをすることがある。
「弘法」や「猿」は得意分野での物理的な失敗や技術的なミスを指すことが多いのに対し、「千慮の一失」は深く考えた末の判断ミスや知的な失敗というニュアンスを持ちます。
対義語
「千慮の一失」とは対照的な意味を持つ言葉は以下の通りです。
- 愚者の一得(ぐしゃのいっとく)
愚かな人でも一生懸命考えれば一つくらいは良い知恵が出ること。 - 千慮の一得(せんりょのいっとく)
愚かな者でも多く考えれば一つくらいは役立つ考えが浮かぶこと。
「千慮の一失」と対をなす言葉として同じ文脈で用いられる。
英語表現
「千慮の一失」を英語で表現する場合、以下のフレーズが適しています。
Even Homer sometimes nods
直訳:ホメロスでさえ時には居眠りをする。
意味:偉大な人物でも失敗や不出来な仕事をすることがあるという表現です。
He made a simple calculation error. Even Homer sometimes nods.
(彼が単純な計算ミスをした。偉大な人でもたまには間違えるものだ。)
対になる「愚者の一得」
「千慮の一失」は、単に他人の失敗をからかう言葉ではありません。
由来となった李左車の言葉が示すように、本来は「どんな賢者も誤ることがある、だからこそ他者の意見に耳を傾けるべきだ」という謙虚さへの戒めが根底にあります。
李左車の言葉の後半は「愚者も千慮すれば必ず一得あり」で、こちらは「愚者の一得」として別のことわざになっています。
二つはもともと同じ一文から分かれた対句です。













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