「あの完璧な人が、まさかこんなミスを…」
普段は非常に思慮深く、間違いなどしそうにない人が、思いがけない失敗をすることはありませんか?
「千慮の一失(せんりょのいっしつ)」は、まさにそのような状況を表す言葉です。
この言葉は、賢い人の意外な失敗を指すだけでなく、人間誰しも完璧ではないという本質を含んでいます。
「千慮の一失」の意味・教訓
「千慮の一失」とは、「どんなに賢い人でも、多くの考え(千慮)の中に、一つ(一)くらいは思いがけない失敗(失)がある」という意味です。
深く物事を考え、万全を期しているように見える人でも、時には見落としや誤りを犯してしまうことを表します。
この言葉の核心は、人の能力を非難することではなく、「賢者であっても失敗はあり得る」という事実を示す点にあります。
多くの場合、その失敗を残念に思う気持ちや、「あの人でも間違うことがあるのだな」という驚き、あるいは慰めのニュアンスで使われます。
「千慮の一失」の語源 – 『史記』に見る由来
「「千慮の一失」の語源 – 『史記』に見る由来
「千慮の一失」は、中国の歴史書『史記(しき)』(淮陰侯伝)に由来する故事成語です。
漢の名将・韓信(かんしん)が、捕虜とした敵将・李左車(りさしゃ)に戦略を尋ねた際、李左車が謙遜して述べた「智者も千慮に必ず一失有り、愚者も千慮に必ず一得有り」(賢者でも千回に一つは失敗があり、愚者でも千回に一つは良い考えがある)という言葉が元になっています。
「千慮の一失」の構成と表記
「千慮の一失」は、以下の四つの漢字と助詞「の」で構成されています。
- 千(せん):非常に多い数。
- 慮(りょ):考えること。思慮。
- 一(いつ):わずかな数。一つ。
- 失(しつ):失敗。失策。誤り。
これらを合わせ、「非常に多くの考え(の中)の、一つの失敗」という意味になります。
「の」が入っても四字熟語?
「千慮の一失」のように助詞(「の」や「に」など)が含まれている言葉も、慣習的に四字熟語として広く扱われています。
また、由来となった中国の逸話(故事)があるため、故事成語にも分類されます。
「千慮一失」という表記について
「の」を省略して「千慮一失」と表記することもあります。
これは漢文の原文に近い表記ですが、現代の日本語の慣用句としては、助詞「の」を含んだ「千慮の一失」という表記と読み(せんりょのいっしつ)が最も一般的です。
使用される場面と例文
「千慮の一失」は、現代の日常会話やビジネスシーンでも使われます。
主に、普段から能力が高く評価されている人、専門家、ベテラン、または非常に慎重な人が、予期せぬ簡単なミスや見落としをした場合に使われます。
例文
- 「いつも冷静沈着な部長が会議の日程を間違えるとは、まさに「千慮の一失」だ。」
- 「あの精密なプログラムを組んだ彼が、単純な変数名を見落としていた。「千慮の一失」とはいえ驚いた。」
- 「大ベテランの登山家が、天候のわずかな兆候を見逃した。「千慮の一失」が大きな判断ミスにつながった。」
- (本人の自嘲として)「万全の準備をしたつもりだったが、肝心の資料を忘れてしまった。我ながら「千慮の一失」だよ。」
類義語・言い換え表現
「千慮の一失」と似た「達人や賢者でも失敗する」という意味を持つことわざは多くあります。
- 弘法にも筆の誤り(こうぼうにもふでのあやまり):
書道の達人である弘法大師(空海)でさえ、書き損じることがある。 - 猿も木から落ちる(さるもきからおちる):
木登りが得意な猿でも、時には木から落ちることがある。 - 河童の川流れ(かっぱのかわながれ):
泳ぎが得意な河童でも、水に流されることがある。 - 上手の手から水が漏れる(じょうずのてからみずがもれる):
(同上) - 念者の不念(ねんじゃのふねん):
普段から非常に注意深い人でも、うっかりミスをすることがある。
■ニュアンスの違い
「弘法も〜」や「猿も〜」は、主に「得意な分野での失敗」を指します。
一方、「千慮の一失」は、「深く考えた(はずの)上での失敗・見落とし」という、思考や判断におけるミスを指すニュアンスがやや強いのが特徴です。
対義語 – 「千慮の一得」との関係
「千慮の一失」の明確な対義語は、語源の故事にも登場した以下の言葉です。
- 千慮の一得(せんりょのいっとく):
愚かな者でも、たくさん考えれば一つくらいは良い考えが浮かぶことがある。 - 愚者の一得(ぐしゃのいっとく):
(同上)
「千慮の一失」が「賢者の失敗」を指すのに対し、「千慮の一得」は「愚者の成功(良い着想)」を指します。これらはセットで使われることも多く、人の能力は絶対的ではなく、状況によって逆転しうることを示しています。
英語での類似表現
「千慮の一失」のニュアンスに近い英語表現を紹介します。
Even Homer sometimes nods.
- 意味:「(偉大な詩人である)ホーマーでさえ居眠りをする(凡作を作る)ことがある。」
- 解説:「弘法にも筆の誤り」の英訳として有名ですが、「偉大な人物の稀な失敗」という意味で「千慮の一失」にも通じます。
- 例文:
The professor made a simple calculation error in his paper. Well, even Homer sometimes nods.
(教授は論文で簡単な計算ミスをしていた。まあ、賢者にも一つくらいの誤りはあるものだ。)
To err is human.
- 意味:「過つは人の常。」
- 解説:これは「人間は誰でも間違いを犯すものだ」という一般的な真理を述べた表現です。
「千慮の一失」が特定の「賢者」の失敗を指すのに対し、こちらはより広く「人間全般」の不完全さを指します。
使用上の注意点 – 使う相手と状況
「千慮の一失」は、使う際に少し注意が必要な言葉です。
この言葉は、「(あの人は普段は賢いが、今回は)失敗した」という前提に基づいています。
そのため、明らかに実力不足な人や、不注意が常習的な人の失敗に対して使うと、皮肉や嫌味に聞こえてしまいます。
また、失敗した本人に向かって直接「千慮の一失ですね」と言うのは、状況によっては失礼にあたる可能性があります。上から目線で「賢いあなたでもミスするんですね」と受け取られかねないためです。
主に、第三者の失敗について「あの人にしては珍しい」と話す場面や、失敗した本人が自嘲的に(自分自身を戒めるために)使うのが適切です。
まとめ – 「千慮の一失」から学ぶ知恵
「千慮の一失」は、どんなに賢く、注意深い人であっても、思いがけない失敗はあり得ることを教えてくれる言葉です。
これは、私たちに二つのことを示唆しています。
一つは、完璧な人間はいないという事実です。失敗を過度に恐れたり、他人の一つのミスを厳しく責め立てたりする必要はないのかもしれません。
もう一つは、どれだけ自信があっても「油断は禁物」という戒めです。「自分は大丈夫」と思った時こそ、思わぬ見落としがあるかもしれません。
賢者の失敗を教訓としつつも、自らの慢心を戒める。このバランス感覚が、私たちが物事を進める上で大切にしたい知恵ですね。



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