会議や打ち合わせの場で自分の意見を提案する際、あまり自信満々に振る舞うのは気が引けるものです。
「もしかしたら役に立つかもしれない」という謙虚な姿勢で意見を述べたい。
そんな慎み深い心情を表す言葉を、
「愚者の一得」(ぐしゃのいっとく)と言います。
意味
「愚者の一得」とは、愚かな者であっても、多くのことを考えれば、その中に一つくらいは優れた知恵や名案があるという意味です。
主に、自分の意見や提案を述べる際に、「私のような未熟者の考えですが」とへりくだって使う謙譲語(謙遜の言葉)として用いられます。
- 愚者(ぐしゃ):愚かな人。知恵の足りない人。
- 一得(いっとく):一つの利益。一つの優れた考え。
語源・由来
「愚者の一得」は、中国の歴史書『史記』の「淮陰侯列伝(わいいんこうれつでん)」に記された逸話に由来します。
古代中国、漢(かん)の時代の名将である韓信(かんしん)が、敵国である趙(ちょう)を倒した後のことです。
韓信は捕虜となった趙の知恵者、広武君(こうぶくん)の才能を高く評価し、縄を解いて「これからどうすれば燕(えん)や斉(せい)の国を従えることができるか」と教えを請いました。
これに対し広武君は、最初は「敗軍の将は兵を語らず(負けた将軍が戦術を語る資格はない)」と固辞します。しかし韓信の熱心な態度に心を動かされ、アドバイスを始める際にこう前置きしました。
「知恵のある者でも千回考えれば一度は間違いをし(智者も千慮に必ず一失あり)、愚かな者でも千回考えれば一度は名案がある(愚者も千慮に必ず一得あり)と言います。私の策がその『一得』になれば良いのですが」
この広武君の謙虚なセリフがもとになり、自分の意見を控えめに差し出す際の定型句として定着しました。
使い方・例文
主にビジネスシーンや改まった席で、目上の人に対して意見具申をする際の前置きや、手紙の結びの言葉として使われます。
相手への敬意を示しつつ、自分の意見を聞いてもらうための「クッション言葉」としての役割を果たします。
現代ではやや硬い表現になるため、格式ばった場面に適しています。
例文
- 愚者の一得として、私の案も検討していただければ幸いです。
- 若輩者の意見ではございますが、もしや愚者の一得となればと思い発言しました。
- この企画書には、愚者の一得とも言うべきアイデアが含まれているかもしれません。
誤用・注意点
この言葉は、自分(または自分の身内)に対してのみ使う謙譲語です。
他人に使ってしまうと、「あなたは愚か者だが、たまにはまぐれ当たりがある」という強烈な侮辱になってしまいます。たとえ親しい間柄であっても、相手の意見を評して使うことは絶対に避けてください。
- NG:
部長のアイデアは、まさに愚者の一得ですね。(大変失礼にあたる) - OK:
私の考えなど愚者の一得に過ぎませんが…。(正しい謙遜)
類義語・関連語
「愚者の一得」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。
- 千慮の一得(せんりょのいっとく):
「愚者の一得」と全く同じ意味。出典の「愚者も千慮に必ず一得あり」を略した形。 - 匹夫の千慮にも一得あり(ひっぷのせんりょにもいっとくあり):
「匹夫」は身分の低い男、または教養のない男のこと。意味は同じ。 - 下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる(へたなてっぽうもかずうちゃあたる):
数多く試みれば、まぐれで成功することもあるというたとえ。
こちらは俗語的な表現のため、改まった場での謙遜には向かない。
対義語
「愚者の一得」とは対照的な意味を持つ言葉(賢い人でも間違うという意味)は、以下の通りです。
- 智者の千慮に一失あり(ちしゃのせんりょにいっしつあり):
どれほど賢い人でも、数多くの考えの中には一つくらい間違いがあるということ。
「愚者の一得」と対になって生まれた言葉。 - 猿も木から落ちる(さるもきからおちる):
その道の達人でも、時には失敗することがあるというたとえ。 - 弘法にも筆の誤り(こうぼうにもふでのあやまり):
名筆家の弘法大師でも書き損じることがある。名人も失敗をするという意味。
英語表現
「愚者の一得」を英語で表現する場合、以下のような言い回しがあります。
Even a fool may give a wise counsel.
- 意味:「愚か者でも賢い助言をすることがある」
- 解説:日本のことわざと同じニュアンスで使われます。”counsel” は助言や忠告という意味です。
まとめ
「愚者の一得」は、自分の意見を提案する際に、相手を立てつつ自分を一歩下げる奥ゆかしい表現です。
「もしかしたら役に立つかもしれない」という控えめな態度は、相手に「話を聞いてみよう」と思わせるきっかけになることもあります。
言葉の背景にある「賢い人ほど謙虚である」という姿勢も含めて、心に留めておきたい言葉です。







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