意味
「弘法にも筆の誤り(こうぼうにもふでのあやまり)」とは、その道に優れた人であっても、時には失敗することがあるというたとえです。
誰かが失敗した際に「あのすごい人でさえ間違えるのだから」とかばったり、慰めたりする文脈で用いられます。
平安時代の「三筆(書道の達人)」の一人として知られる弘法大師(空海)ほどの書の名人でも字を書き損じることがある、というのが字句どおりの意味です。
語源・由来
この言葉から連想されるのが、平安時代初期の僧・弘法大師(空海)にまつわる有名な伝説です。
時の天皇から、平安京の大内裏にある朝堂院の南の正門「応天門(おうてんもん)」に掲げる額の文字を書くよう命じられた弘法大師は、素晴らしい筆運びで「應天門(応天門)」と書き上げました。
しかし、いざ額を門の高い位置に掲げてみると、ある重大なミスが発覚します。
「應(応)」の字の「点」が一つ抜けていたのです。
すでに額は高い場所にあり、下ろすのは手間がかかります。
そこで弘法大師は、下から筆を投げつけ、見事に点を打ち、文字を完成させたと伝えられています。
「弘法大師のような書の名人でも書き損じることがある」ということわざの意味は、この話と重ねて語られます。
※筆を投げて点を打つ話は、『今昔物語集』巻十一の弘法大師の説話に出てきます。
使い方・例文
「弘法にも筆の誤り」は、主に他人の失敗に対して使います。
優れた能力を持つ人が珍しくミスをした際に、「あの人でも間違うことがあるんだ」という驚きと、「だから気にしなくていいよ」という温かいフォローの気持ちを込めて用います。
例文
- クラスで一番賢い彼が答えを書き間違えるなんて、まさに弘法にも筆の誤りだ。
- 料理上手な母が珍しく魚を焦がしたので、「弘法にも筆の誤りだね」と慰めた。
- あの慎重なベテラン運転手が道を間違えるとは、弘法にも筆の誤りと言うほかない。
誤用・注意点
この言葉は、使い方を間違えると相手に不快感を与えたり、自分が恥をかいたりする可能性があります。
自分の失敗に使うと言い訳に聞こえる
自分のミスについて「弘法にも筆の誤りでして」と言う使い方もありますが、自分を弘法大師(達人)になぞらえて言い訳をしていると受け取られることがあります。
改まった場面で自分の失敗をわびるときは、「お恥ずかしい限りです」「不徳の致すところです」などを使うのが無難です。
目上の人への使用は慎重に
相手を「達人」と認める敬意が含まれる言葉ですが、同時に「失敗しましたね」と指摘する言葉でもあります。
上司や恩師に対して直接使うと、「上から目線で評価された」と感じる人もいるため、関係性が深くない場合は使用を控えたほうが賢明です。
類義語・関連語
「弘法にも筆の誤り」と似た意味を持つ言葉には、動物や架空の生き物を使ったユニークな表現が多くあります。
- 猿も木から落ちる(さるもきからおちる):
木登りが得意な猿でも、時には落ちることがあるということ。
最も一般的で使いやすい類義語です。 - 河童の川流れ(かっぱのかわながれ):
泳ぎの名手である河童でも、川の水に流されることがあるということ。 - 上手の手から水が漏る(じょうずのてからみずがもる):
どんなに上手な人でも、細かいところで失敗をすることがあるというたとえ。 - 千慮の一失(せんりょのいっしつ):
賢い人でも、多くの考えの中に一つくらいは間違いがあるということ。(対義語は「愚者の一得」)
「弘法にも筆の誤り」と「猿も木から落ちる」の違い
どちらも「その道に長じた人でも、時には失敗をすることがある」という同じ意味で、違いはたとえに使うものです。
「弘法にも筆の誤り」は書の名人・弘法大師(空海)の書き損じを、「猿も木から落ちる」は木登りが得意な猿が木から落ちることをたとえに使います。
対義語
「弘法にも筆の誤り」とは対照的な意味を持つ言葉は以下の通りです。
英語表現
「弘法にも筆の誤り」を英語で表現する場合、西洋の偉大な詩人を引き合いに出したフレーズがあります。
Even Homer sometimes nods
直訳は「ホメロスでさえ、時には居眠りをする」で、古代ギリシャの大叙事詩『イリアス』などを残した詩人ホメロスであっても退屈な詩を書いたりミスをしたりすることがあるという意味を表す表現。
「nod」は居眠りをして頭がカクンとなる動作(舟を漕ぐ)を指す。
Don’t be so hard on yourself. Even Homer sometimes nods.
(そんなに自分を責めないで。弘法にも筆の誤りと言うでしょう。)
弘法にも筆の誤りの空海は「能書は必ず好筆を用う」と書いた
この言葉に名前が出てくる弘法大師(空海)には、もう一つ、筆にまつわる有名な言葉があります。
「弘法筆を選ばず」の真実
「弘法筆を選ばず」は、「能書筆を選ばず(=達人は道具の良し悪しにかかわらず立派な字を書く)」という意味で、空海が引き合いに出されます。
しかし、空海の詩文を集めた『性霊集』の「春宮に筆を献ずる啓」には、次の一節があります。
良工は先づ其の刀を利くし、能書は必ず好筆を用う。
(腕の良い職人はまず刃物を研ぎ、書の上手は必ず良い筆を使う。)
同じ一節で、書体や文字の大きさに応じて筆を替えるとも述べており、空海自身は筆を選んでいたことになります。















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