ことわざ 慣用句

念者の不念

(ねんしゃのふねん)

常に用心深い人でも、時にはうっかりして失敗することがあるというたとえ。


8文字の言葉 / 「ね」から始まる言葉
念者の不念 ことば
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意味

「念者の不念(ねんしゃのふねん)」とは、どれほど用心深い人であっても、ふとした拍子に失敗してしまうことがあるというたとえです。

  • 念者(ねんしゃ):物事に念を入れる人。用心深い人。
  • 不念(ふねん):不注意。うっかりすること。手落ち。

人間である以上、どれほど慎重な性格の人であっても、365日24時間完璧であり続けることは不可能です。
「どれほど注意深い人でも間違いはある」という教訓であり、失敗して落ち込んでいる人を慰める際にもよく使われます。

語源・由来

「念者(ねんしゃ)」は、いろいろと気を配り、ぬかりなく物事をする人、つまり念入りな人を指す言葉です。
同じ字を「ねんじゃ」と読んで男色の関係の兄分を指す語もありますが、このことわざの「念者」は念入りな人の意味です。

使い方・例文

「念者の不念」は、普段はしっかりしている人が珍しくミスをした場面で使われます。

例文

  • いつも戸締まりを徹底している父が鍵を掛け忘れるとは、念者の不念だ。
  • 彼女のようなベテランでも手順を間違えることがある。念者の不念だ。
  • 念者の不念と言うし、あまり自分を責めないで。次は気を付ければいいのよ。
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類義語・関連語

「念者の不念」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。

  • 猿も木から落ちる(さるもきからおちる):
    木登りが上手な猿でも落ちることがある。その道の達人でも失敗することのたとえ。
  • 弘法にも筆の誤り(こうぼうにもふでのあやまり):
    書の達人である弘法大師でも書き損じることがある。
  • 河童の川流れ(かっぱのかわながれ):
    泳ぎが得意な河童でも川の水に流されることがある。その道の名人でも、時には得意なことで失敗するというたとえ。
  • 千慮の一失(せんりょのいっしつ):
    賢い人でも、多くの考えの中に一つくらいは間違いがあるということ。

「念者の不念」と類義語の違い

どれも失敗のたとえに使われますが、焦点を当てている点が異なります。
「念者の不念」は性格的な慎重さ(注意深さ)に、「猿も木から落ちる」と「弘法にも筆の誤り」は技術や能力の高さ(スキル)に焦点を当てています。

英語表現

「念者の不念」を英語で表現する場合、以下のようなことわざがあります。

Even Homer sometimes nods

直訳は「ホメロスでさえ、時には居眠りをする」で、『イリアス』などを残した古代ギリシャの偉大な詩人ホメロスでさえ時には退屈な詩を書く(うっかりする)ことから、どんな名人にも失敗はあるという意味で使われる表現。

Don’t be so hard on yourself. Even Homer sometimes nods.
(そんなに自分を責めるなよ。念者の不念(誰にでも間違いはある)と言うだろ。)

念者の不念の「念」は「今の心」ではない

この言葉に使われている「念」という漢字は、「今」の「心」と書きます。

ただし「今」は音を表す部分で、「今の心」という意味の組み立てではありません。
漢字の成り立ちを説いた字書『説文解字せつもんかいじ』は「念」を「常に思ふなり」(いつも心にかけて思うこと)と説明しています。
「念入り」や「丹念」、「正念場」といった言葉にも使われている通り、心を込めて物事に向き合う状態を指します。

しかし、人間が常に心をかけ続けることは困難です。
「念者」であっても、ふと思いが途切れる瞬間があります。
これが「不念(念ならず)」の状態にあたります。

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