意味
「風樹の嘆(ふうじゅのたん)」とは、親を大切にしたいと願ったときにはすでに親がこの世になく、その願いをかなえられずに嘆くという意味です。
木が静かにしていたいと願っても、風が吹き止まなければ揺れ続けざるを得ないように、「子が親孝行をしようと思っても、親の寿命(死)は待ってくれない」という、自分の思い通りにならない世の無常さを例えています。
単なる「親を亡くした悲しみ」ではなく、「生前にもっと大切にしておけばよかった」という強い後悔が含まれている点が特徴です。
語源・由来
この言葉は、中国の前漢時代の書物『韓詩外伝(かんしがいでん)』に記された、孔子(こうし)と皐魚(こうぎょ)という人物のエピソードに由来します。
ある日、孔子が旅をしていると、激しく泣き崩れている皐魚に出会いました。孔子がその理由を尋ねると、皐魚は「私には三つの過ちがあります」と語り始めました。
その第一の過ちとして彼が挙げたのが、「若い頃から学問のために諸国を漫遊していたが、帰ってみると親はすでに死んでいた」ということでした。
そのとき、彼が嘆いて言った言葉が、この故事成語の元となっています。
夫樹欲靜而風不止,子欲養而親不待。
「樹静かならんと欲すれども風止まず、子養わんと欲すれども親待たず」訳:
木は静かにしていたいと思っても、風が止まないので揺れ続けなければならない。
それと同じように、子が親孝行したいと思っても、親は待ってはくれず、死んでしまうものだ。
この悲痛な言葉を残して、皐魚は亡くなった(枯れ木のように立ったまま死んだとも)と言われています。
これを聞いた孔子の弟子たちは、親孝行の大切さを痛感し、13人もが、親の世話をするために孔子のもとを去り、故郷へ帰ったと伝えられています。
使い方・例文
日常会話で頻繁に使う言葉ではありませんが、親の訃報に接した際や、法事の挨拶、あるいは親が健在なうちの「自戒の言葉」として用いられます。
「孝行したい」という気持ちと「もう間に合わない」という現実のギャップを表現する、非常に情緒的な言葉です。
例文
- 実家に何年も帰らなかったことを、父が亡くなった今風樹の嘆をかこっている。
- 「風樹の嘆とならぬよう、今のうちに親孝行をしておきなさい」と、上司に諭された。
- 遺品整理をしながら、もっと話を聞いてあげればよかったと風樹の嘆に暮れた。
誤用・注意点
対象は「親孝行」に限られる
この言葉は、あくまで「親への孝行ができなかったこと」に対する嘆きです。
「子供を亡くした」「友人を亡くした」といった一般的な別れの悲しみや、「事業に失敗した」などの後悔に対して使うのは誤用です。
自然描写ではない
「風樹」という字面から、「風に揺れる木の風景への感動」や「自然への畏敬」と勘違いされることがありますが、風景描写には使いません。
類義語・関連語
「風樹の嘆」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。
- 孝行のしたい時分に親はなし(こうこうのしたいじぶんにおやはなし):
最も一般的で分かりやすい表現です。「石に布団は着せられず」とも言います。 - 後の祭り(あとのまつり):
時期を逃してしまい、後悔しても手遅れであること。親孝行に限らず広く使われます。
間違いやすい言葉
- 麦秀の嘆(ばくしゅうのたん):
「~の嘆」という形は似ていますが、こちらは「国が滅びてしまったことへの嘆き」です。
殷(いん)の国の遺跡に麦が生い茂っているのを見て嘆いた故事に由来します。
意味が全く異なるため注意が必要です。
「風樹の嘆」の皐魚が悔いた過ちは三つ
皐魚は孔子に、自分の過ちを三つ数えて語っています。
『韓詩外伝』巻九の原文には、次のようにあります。
吾失之三矣。少而好學,周游諸侯,以歿吾親,失之一也。高尚吾志,簡吾事,不事庸君,而晚事無成。失之二也。與友厚而中絕之,失之三矣。
(私には三つの過ちがあります。若いころ学問を好んで諸侯の国々を巡り歩き、その間に親を死なせてしまったこと、これが一つ目です。志を高く持って自分の務めを軽んじ、凡庸な君主には仕えまいとして、年を取っても何も成し遂げられなかったこと、これが二つ目です。友と親しく交わりながら、途中で絶交してしまったこと、これが三つ目です。)










コメント