意味
「猿の尻笑い(さるのしりわらい)」とは、猿のお尻はどれも等しく赤いのに、猿は自分の後ろ姿(お尻)を自分で見ることができないことから、我が身の欠点を棚に上げて、人の欠点だけをあげつらうという意味です。
そのため、目の前にいる仲間の猿の赤いお尻を見て「やーい、真っ赤だぞ」と馬鹿にして笑いますが、実は笑っている自分のお尻も同じように赤いのです。
このことから、「自分にも同じ欠点があるのに、それを自覚せずに他人を批判する愚かさ」を戒める教訓として使われます。
語源・由来
このことわざは、古くから日本人の間で親しまれてきた動物の生態観察に基づくたとえ話です。
「猿」は人間に似ているため、古来より人間の愚かさや浅はかさを映し出す鏡として、多くのことわざに登場します。
特にこの言葉は、自分の姿(欠点)は直視できないが、他人の姿(欠点)はよく見えるという、人間の「自己客観視の難しさ」を、ユーモラスかつ辛辣に表現しています。
使い方・例文
日常会話において、自分のことを棚に上げて他人を批判している人に対し、その矛盾を指摘したり、あるいは陰で呆れたりする際に使われます。
ほぼ同じ意味の言葉に「目くそ鼻くそを笑う」がありますが、あちらは言葉の響きが汚いため、食事の席や少し上品に表現したい場合には「猿の尻笑い」の方が適しています。
例文
- 遅刻常習犯の彼が、新人の遅刻を厳しく叱責しているなんて、まさに猿の尻笑いだ。
- 互いに「お前の字は汚い」と言い合うが、傍から見れば猿の尻笑いだ。
- 他社の不祥事を批判した社長が自社でも同じ不正とは、猿の尻笑いもいいところだ。
類義語・関連語
「猿の尻笑い」と同じく、「自分の欠点を知らずに他人を笑う」という意味の言葉は数多く存在します。
- 目糞鼻糞を笑う(めくそはなくそをわらう):
最も有名な類義語。目やにが、鼻くそを「汚い」と笑うこと。どちらも五十歩百歩の汚いものであることから。「猿の尻笑い」より俗っぽい表現です。 - 五十歩百歩(ごじっぽひゃっぽ):
戦場で50歩逃げた者が、100歩逃げた者を「臆病者」と笑ったという故事から。程度に差はあっても、本質的には変わらないこと。 - 自分の背中は見えぬ:
他人の行いはよく見えるが、自分の行いは自分では見えないということ。
英語表現
英語にも、全く同じ発想の有名なことわざがあります。
The pot calling the kettle black
直訳は「鍋(Pot)がやかん(Kettle)を『黒い』と呼ぶ」で、自分のことを棚に上げて他人を批判するという意味の表現。
昔の調理器具はどちらも火にかけて煤(すす)で真っ黒だったため、鍋がやかんに向かって「お前は黒くて汚いな」と批判する様子から、自分の欠点が見えていないことのたとえとして使われる。
You’re calling me lazy? That’s the pot calling the kettle black!
(君が私を怠け者だと言うのか? それこそ猿の尻笑い(お前が言うな)だ!)
三好十郎の戯曲『廃墟』に出てくる猿の尻笑い
敗戦からおよそ1年後に書かれた三好十郎の戯曲『廃墟』に、この言葉が使われる場面があります。
戦争中に牢屋に入れられていた兄の誠に向かって、弟の欣二が次のように言います。
現に、俺達が召集令を貰って、行くのはいやだって言って見ろ、ズドンだ。五十歩百歩だ。威張る事ぁないじゃないか。兄さんたちの連中が、自分達だけは戦争責任は無いなんて大きな口を叩くのは、猿の尻笑いだね。
(三好十郎『廃墟』1947年)
欣二は同じ台詞の中で「五十歩百歩だ」とも言い、戦争に反対しきれなかった兄の側も、協力した国民と変わらないという理屈で二つの言葉を重ねています。
これに対して誠は、力が弱くて公然と反対できなかったことと、積極的に戦争に協力したことは違う、と言い返します。











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