これまで積み上げてきた信頼や、家系の誇り。
それを一瞬にして台無しにしてしまうような、恥ずべき振る舞い。
自分を信じて推薦してくれた恩師や、手塩にかけて育ててくれた親を裏切り、世間に顔向けできないような思いをさせてしまう。
そんな状況を、「顔に泥を塗る」と言います。
意味・教訓
「顔に泥を塗る」とは、恩義のある人や目上の人の名誉を傷つけ、ひどい恥をかかせることを意味します。
単に自分が失敗するだけでなく、自分と関わりの深い他者の評判まで汚してしまう際に使われる、非常に重みのある言葉です。
語源・由来
「顔に泥を塗る」の由来は、身体の中でも個人の尊厳や名誉の象徴とされる「顔」を汚す行為にあります。
かつて、顔を汚されることは公衆の面前で辱めを受けることを意味しました。
美しく整えられているべき顔に、わざわざ汚い泥を塗りつけるという比喩は、その人の面目(メンツ)を徹底的に潰すことを視覚的に表現しています。
この言葉は、自分の不祥事によって、親や師匠、あるいは上司の顔が「汚れた」状態、つまり世間に顔向けできない状態にしてしまうという文脈で定着しました。
江戸時代の文献にも見られる日本古来の表現であり、周囲との繋がりや世間体を重んじる文化背景が反映されています。
使い方・例文
「顔に泥を塗る」は、個人的なミスというよりも、周囲の期待を大きく裏切り、関係者にまで悪評が及ぶような深刻な場面で使われます。
家族、学校、仕事、地域社会など、自分を支えてくれた相手の名誉を損なった際に用いられます。
例文
- 期待して推薦してくれた先生の「顔に泥を塗る」ような真似だけはしたくない。
- 息子が警察沙汰を起こし、先祖代々続く旧家の「顔に泥を塗る」結果となった。
- 「これ以上、会社の顔に泥を塗る気か」と上司に厳しく叱責された。
- ライバル校との大一番で、名門チームの「顔に泥を塗る」ような惨敗を喫してしまった。
文学作品・メディアでの使用例
この言葉は、名誉や義理を重んじる日本の文学作品において、人物の葛藤や叱責のシーンで象徴的に登場します。
『坊っちゃん』(夏目漱石)
主人公の坊っちゃんが、下女の清(きよ)から「立派な人になっておくれ」と期待されている場面で、自分の無鉄砲な行動を省みる際に使われています。
そんな乱暴をしては清の顔に泥を塗るようなものだ。
誤用・注意点
「顔に泥を塗る」は、多くの場合、自分よりも立場が上の人や恩人に対して使われる言葉です。
そのため、部下や年下の人に対して「私の顔に泥を塗るな」と言うことはあっても、自分自身の失敗だけを指して「自分で自分の顔に泥を塗った」という表現はあまり一般的ではありません。
また、「泥を吐く(どろをはく)」という言葉と混同されることがありますが、こちらは「隠していた罪を自白する」という意味であり、全く別の言葉です。
類義語・関連語
「顔に泥を塗る」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。
- 面目を潰す(めんぼくをつぶす):
世間に対する名誉や立場を台無しにする。 - 名誉を汚す(めいよをけがす):
誇りある名前や評判に傷をつける。 - 汚名を着せる(おめいをきせる):
不名誉な評判を相手に与えてしまう。 - 泥を塗る(どろをぬる):
「顔に」を省略した形。意味は同じ。
対義語
「顔に泥を塗る」とは対照的な意味を持つ言葉は以下の通りです。
- 顔を立てる(かおをたてる):
相手の面目や立場を保つように配慮する。 - 花を持たせる(はなをもたせる):
相手の名誉になるように譲ったり、手柄を立てさせたりする。 - 錦を飾る(にしきをかざる):
成功して故郷や親に名誉をもたらす。
英語表現
「顔に泥を塗る」を英語で表現する場合、不名誉を意味する言葉や、泥を使った比喩表現が用いられます。
bring shame on…
- 意味:「〜に恥をもたらす」
- 解説:最も一般的で、家族や組織の名誉を汚す際によく使われる標準的な表現です。
- 例文:
I don’t want to bring shame on my family name.
(家族の顔に泥を塗るようなことはしたくない。)
drag someone’s name through the mud
- 直訳:誰かの名前を泥の中に引きずり回す
- 意味:「〜の名誉を著しく傷つける」
- 解説:日本語と同様に「泥」という言葉を使い、評判を徹底的に汚すというニュアンスを強調します。
- 例文:
His scandal dragged the company’s name through the mud.
(彼の不祥事は、会社の顔に泥を塗った。)
まとめ
「顔に泥を塗る」という言葉は、私たちの行動が自分一人だけのものではなく、周囲との信頼関係の中に成り立っていることを思い出させてくれます。
自分を支えてくれる人たちの誇りを守ろうとする意識は、時にプレッシャーとなりますが、同時に誠実な生き方を選ぶ指針にもなるはずです。
誰かの期待に応え、その人の「顔を立てる」ことができるような自分でありたい。
そう願う心が、この言葉の裏側にある教訓と言えるかもしれません。







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