惚れて通えば千里も一里

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ことわざ 慣用句
惚れて通えば千里も一里
(ほれてかよえばせんりもいちり)
短縮形:千里も一里
異形:思うて通えば千里も一里

14文字の言葉ほ・ぼ・ぽ」から始まる言葉

片道何時間もかかる場所へ、恋人に会うためなら毎週でも通えてしまう。あるいは、趣味のためなら遠征も苦にならない。

「惚れて通えば千里も一里」(ほれてかよえばせんりもいちり)は、そんな「好き」という感情が持つ強大なエネルギーを言い当てた言葉です。
物理的な距離や障害さえも、情熱があれば苦もなく乗り越えられるという心理を表しています。

意味

「惚れて通えば千里も一里」とは、好きな人のもとへ通う道のりは、どんなに遠くても短く感じられることのたとえです。

  • 惚れて通えば:心から愛する人のところへ行くならば。
  • 千里も一里:非常に遠い距離であっても、ほんの短い距離のように思える。

この言葉の核心は、「心理的な距離の短縮」にあります。
実際に距離が縮まるわけではありませんが、会いたいという高揚感が、移動の苦労や肉体的な疲労を忘れさせてしまう状態を指します。

数字のイメージ

  • 千里(せんり):約3,900km。日本列島の長さをも超える、果てしなく遠い距離の比喩。
  • 一里(いちり):約3.9km。歩いて1時間程度の、比較的身近な距離。

語源・由来

「惚れて通えば千里も一里」の由来は、特定の偉人の名言や古典文学ではなく、江戸時代から明治時代にかけて庶民の間で歌われた「民謡」や「都々逸(どどいつ)」の歌詞にあります。

当時の人々にとって、徒歩での長距離移動は大変な重労働でした。しかし、愛しい人に会いにいく時だけはその辛さを感じない。そんな等身大の恋愛感情が、俗謡として広く歌われ定着しました。具体的な例として、新潟県の民謡『越後いたこ唄』の歌詞などにもこのフレーズが登場します。

続きの句が存在する

実はこの言葉には、対になる「下の句」が存在することをご存じでしょうか。

「惚れて通えば千里も一里、逢わずに戻ればまた千里

行きはウキウキして短く感じた道のりも、相手に会えずに帰るとなると、とたんに足取りが重くなり、元の「千里」のように長く遠く感じる。
この続きがあることで、恋する人の心理の落差がよりリアルに表現されています。

使い方・例文

「惚れて通えば千里も一里」は、遠距離恋愛などの恋愛関係で使われるのが本筋ですが、現代では「好きなことへの没頭」を表す比喩としても使われます。

例文

  • どんなに忙しくても、推しのライブとあれば地方まで遠征する。まさに「惚れて通えば千里も一里」だ。
  • 片道2時間の通勤は大変だが、この仕事が面白くて仕方がない彼にとっては、「惚れて通えば千里も一里」なのだろう。
  • 「惚れて通えば千里も一里」と言うけれど、彼女に会うためなら台風の中でも車を走らせるなんて、ものすごい執念だ。

誤用・注意点

ストーカー的な文脈には不向き

この言葉は、あくまで「通う本人の健気な心理」や「恋の情熱の素晴らしさ」を肯定的に捉える言葉です。
相手が嫌がっているのに押し掛けるような一方的な執着や、ストーカー行為に対して使うと、言葉の持つ粋なニュアンスが損なわれるため注意が必要です。

類義語・関連語

「惚れて通えば千里も一里」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。

  • 痘痕もえくぼ(あばたもえくぼ):
     好きになってしまえば、相手の欠点(あばた)さえも長所(えくぼ)のように愛らしく見えること。
  • 恋は盲目(こいはもうもく):
     恋に落ちると理性を失い、常識的な判断ができなくなったり、相手の欠点が見えなくなったりすること。
  • 思うて通えば千里も一里(おもうてかよえばせんりもいちり):
     「惚れて通えば~」と全く同じ意味の異形。

使い分けのポイント:
「痘痕も靨」や「恋は盲目」は、主に「判断力の低下(欠点が見えない)」に焦点を当てていますが、「惚れて通えば千里も一里」は「行動力の向上(苦労を感じない)」に焦点を当てている点に違いがあります。

英語表現

「惚れて通えば千里も一里」を英語で表現する場合、以下のフレーズがよく当てはまります。

Love laughs at distance.

  • 意味:「恋は距離を笑い飛ばす」
  • 解説:愛があれば、物理的な距離など障害にはならない(笑い飛ばせるほど些細なことだ)という、日本語のことわざと非常に近いニュアンスを持つ表現です。
  • 例文:
    He drives 5 hours every weekend to see her. Love laughs at distance.
    (彼は毎週末、彼女に会うために5時間運転する。惚れて通えば千里も一里だね。)

昔の「一里」の感覚

現代人にとっての「一里(約4km)」は、車や電車ならあっという間ですが、江戸時代の人々にとっては「重い荷物を背負って1時間歩く」という、それなりに骨の折れる距離でした。

それを「苦にならない」と言うのですから、当時の「千里も一里」という表現には、現代以上に「ありえないほどの情熱」という強いニュアンスが込められていたのかもしれません。
ちなみに、旧東海道などの街道には一里ごとに「一里塚」が置かれており、旅人にとってはこの塚を一つ一つ越えていくことが、旅の進み具合を測る重要な目安でした。

まとめ

「惚れて通えば千里も一里」は、恋の情熱がもたらすポジティブな錯覚を表した、味わい深い言葉です。

たとえ物理的な距離は変わらなくても、心の持ちよう一つで、長く険しい道のりが散歩道のように楽しく感じられる。
恋愛に限らず、心から「好きだ」と思える対象に出会えたとき、私たちは誰もがこの「千里を一里に変える魔法」を使うことができるのかもしれません。

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