意味
「螻蛄才(けらざい)」とは、多芸多才なのに、どれも中途半端で物になっていないという意味です。
そうした役に立たない才能そのものを指すこともあります。
螻蛄(= 土の中に穴を掘ってすむ昆虫)の能力にたとえた言葉で、「螻蛄芸(けらげい)」とも言います。
語源・由来
この言葉は、中国・晋の崔豹が書いた『古今注』(= 物の名やいわれを説明した書物)で、「魚虫」の部にある次の一節がもとになっています。
螻蛄……有五能而不成伎術
(螻蛄には五つの能力があるが、どれも技と呼べるほどにはならない)
五つの能力とは、飛ぶ・登る・潜る・掘る・走るです。
飛んでも屋根を越えられず、木に登っても上まで行けず、走っても人より速くはなれない、というように、どれも中途半端だとされています。
使い方・例文
- 楽器も絵も少しずつかじったが、どれも螻蛄才で終わってしまった。
- 器用なだけの螻蛄才では職人の世界で通用しないと、師匠に言われた。
- 「私の趣味は螻蛄才ばかりです」と、彼は照れくさそうに笑った。
類義語
何でもひととおりこなせるのに、一つも極められない点が共通する語です。
- 器用貧乏(きようびんぼう):
器用で何でも一通りこなせるため、かえって一つの道で大成しないこと。 - 多芸は無芸(たげいはむげい):
多くの芸を身につけた人は、どれも深まらず、結局一つも優れた芸を持たないという教え。
和名類聚抄では螻蛄の五つの能力が一部違う
平安時代の『和名類聚抄』(= 漢語に日本での呼び名を添えた書物)の二十巻本には、一説として別の五つが挙げられています。
飛べても屋根を越えられない、鳴けても囀れない、泳げても溝を渡れない、登れても木の上まで行けない、土を耕せても身を隠せない、という五つです。
『古今注』と比べると、「鳴く」が加わって「走る」が無くなり、「潜る」「掘る」は「泳ぐ」「耕す」になっています。


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