意味
「鶏口となるも牛後となるなかれ」とは、大きな集団の末端で使われるより、たとえ小さくてもリーダーとして重んじられるほうがよいという意味です。
- 鶏口(けいこう):鶏の口。転じて、小さな組織の長。
- 牛後(ぎゅうご):牛の尻。転じて、大きな組織の末端。
強い者の後ろに従って甘んじるよりも、自分の実力を発揮できる場所で主体的に動くべきだという処世訓です。
語源・由来
『史記』「蘇秦列伝」に出典を持つ故事成語です。
中国の戦国時代、強大な秦の属国になろうとした韓の王に対し、遊説家の蘇秦が「鶏のくちばしになっても、牛の尻になってはならない」と説いて独立を促しました。
強大な勢力の下で屈辱的な立場に甘んじるより、小国であっても独立した長としての誇りを持つべきだという教えが、現代の価値観を問う言葉として定着しました。
現在では略して「鶏口牛後」とも呼ばれます。
使い方・例文
独立や起業、進路の選択において、組織のネームバリューよりも自身の裁量を重視する場面で使われます。
- 大企業の平社員より、鶏口となるも牛後となるなかれとベンチャーの役員を選んだ。
- 強豪校の補欠に甘んじるより、鶏口となるも牛後となるなかれと公立校を選んだ。
- 鶏口となるも牛後となるなかれを地で行き、彼は地方で小さなカフェを立ち上げた。
- 出世競争より、鶏口となるも牛後となるなかれの精神で専門職として独立した。
類義語・関連語
「鶏口となるも牛後となるなかれ」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。
- 鯛の尾より鰯の頭(たいのおよりいわしのあたま):
立派な鯛の末端(尾)でいるより、平凡な鰯のリーダー(頭)になるほうがよい。 - 芋頭でも頭は頭(いもがしらでもあたまはあたま):
たとえ里芋のようなつまらないものの頭であっても、人の下に使われているよりはよい。
「鯛の尾より鰯の頭」との使い分け
「鶏口となるも牛後となるなかれ」は中国の故事に由来する格調高い表現で、座右の銘や公の場での演説に適しています。
一方、「鯛の尾より鰯の頭」は日本の食文化に根ざした親しみやすい表現で、個人の好みや気概を日常会話で表す際に使われます。
対義語
「鶏口となるも牛後となるなかれ」とは対照的に、強い勢力に身を寄せることを選ぶ際の言葉です。
- 寄らば大樹の陰(よらばたいじゅのかげ):
頼りにするならば、勢力のある大きなもののほうが安全で利益も多い。 - 長いものには巻かれろ(ながいものにはまかれろ):
勢力の強い相手には、逆らわずに従っていたほうが得策である。 - 大所の犬となるとも小所の主となるな(おおじょのいぬとなるともこじょのあるじとなるな):
大きな組織の末端で使われているほうが、小さな組織のリーダーでいるよりも物質的に豊かで、結局は得であるという意味です。
英語表現
「鶏口となるも牛後となるなかれ」を英語で表現する場合、動物のサイズや部位を用いた比喩が使われます。
Better be the head of a dog than the tail of a lion
「ライオンの尾になるより、犬の頭になるほうがよい」
強大な存在の末端にいるよりも、平凡な存在であってもリーダーとして主体的に動くほうが意義があるという意味です。
He decided to start his own firm, believing it is better to be the head of a dog than the tail of a lion.
(彼はライオンの尾より犬の頭になるほうがよいと信じ、自分の会社を立ち上げた。)
A big fish in a small pond
「小さな池の大きな魚」
小さな組織の中で、実力者として影響力を持っている人物を指す際に使われます。
She preferred being a big fish in a small pond rather than a small fish in a big pond.
(彼女は大きな組織の端役であるより、小さな組織の有力者でいることを好んだ。)
この言葉で国を動かした人のその後
蘇秦は六国をまとめて秦に当たる合従策を成立させ、六国すべての宰相を兼ねました。
しかし同門の張儀が秦のために連衡策を進めて六国の結束は崩れ、蘇秦は燕を離れて斉に移ります。
斉では客分として遇されたものの、他の臣下に妬まれて刺客に襲われました。
『史記』の蘇秦列伝によれば、蘇秦は死に際して「自分の遺体を車裂きにし、燕のために斉を裏切ったと触れ回れば犯人が出てくる」と王に告げ、そのとおりに下手人が名乗り出たと記されています。













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