目の前のライバルと競い合うことに夢中になるあまり、全く別の第三者に美味しいところをすべて持っていかれてしまった…そんな経験はありませんか。
このような状況を的確に表現することわざが「鴉鷺の争い(あろのあらそい)」です。
今回は、「鴉鷺の争い」の正しい意味や由来、そして現代における使い方を具体的な例文を交えて分かりやすく解説します。
有名な「漁夫の利」との関係や、対義語、英語表現もご紹介しますので、この機会に言葉の理解を一層深めてみましょう。
「鴉鷺の争い」の意味・教訓
「鴉鷺の争い(あろのあらそい)」とは、二者が互いに争っている隙に、まったく関係のない第三者に利益を横取りされてしまうことのたとえです。
黒い「鴉(からす)」と白い「鷺(さぎ)」という対照的な鳥が争っている間に、他の誰かが利益を得るという構図を表しています。このことわざには、目先の争いに囚われることの虚しさと、もっと広い視野で物事を見ることの重要性を説く教訓が込められています。
「鴉鷺の争い」の語源
このことわざの直接的な出典は明確ではありませんが、その意味するところは、中国の歴史書『戦国策(せんごくさく)』に記された「鷸蚌の争い(いっぽうのあらそい)」の故事に由来します。
鷸(シギ)が蚌(ハマグリ)の身を食べようとしたところ、蚌は殻を閉じてシギのくちばしを挟んでしまいました。両者が互いに譲らず争っていると、そこを通りかかった漁師が両方ともたやすく捕まえてしまった、という話です。
この「鷸蚌の争い」から「漁夫の利」という言葉が生まれ、「鴉鷺の争い」もこれと同じ状況を指すことわざとして使われるようになりました。
使用される場面と例文
ビジネスシーンで競合他社との過度な競争を諫めるときや、政治や人間関係において、対立する二者の隙を突かれる状況などで用いられます。当事者たちの争いが、いかに不毛であるかを指摘する際に効果的な言葉です。
例文
- 「A社とB社が値下げ合戦を繰り広げた結果、C社にシェアを奪われた。まさに『鴉鷺の争い』だ。」
- 「部長と課長が派閥争いをしている間に、ライバル部署に主要なプロジェクトを持っていかれたのは、典型的な『鴉鷺の争い』と言えるだろう。」
- 「あの二人はいつも些細なことでいがみ合っているが、そんなことをしていると、結局は『鴉鷺の争い』になって他の誰かが得をするだけだよ。」
類義語・言い換え表現
「鴉鷺の争い」には、同じ意味を持つ故事成語がいくつか存在します。状況に応じて使い分けることで、表現の幅が広がります。
- 漁夫の利(ぎょふのり):二者が争っているのを利用して、第三者が利益を横取りすること。最も一般的で、ほぼ同義の言葉。
- 鷸蚌の争い(いっぽうのあらそい):「漁夫の利」の元となった故事そのもの。争いの原因や経緯をより詳しく示すニュアンスを持つ。
- 犬兎の争い(けんとのあらそい):犬が兎を追いかけ、両者が疲れ果てて倒れたところを農夫が捕らえたという故事から。両者が共倒れになり、第三者が利益を得る状況を指す。
対義語
第三者が利益を得る「鴉鷺の争い」とは反対に、協力して共に利益を得る、あるいは共に栄えることを意味する言葉が対義語として挙げられます。
- 共存共栄(きょうそんきょうえい):二者以上が敵対するのではなく、互いに助け合い、共に栄えていくこと。
- 呉越同舟(ごえつどうしゅう):仲の悪い者同士でも、共通の困難や利害のために協力し合うことのたとえ。
※ 争うのではなく協力するという点で対義的。
英語での類似表現
英語にも、「鴉鷺の争い」と似た状況を表すことわざがあります。
Two dogs fight for a bone, and a third runs away with it.
直訳すると「二匹の犬が一本の骨をめぐって争っていると、三匹目の犬がそれを持ち去ってしまう」となり、「漁夫の利」や「鴉鷺の争い」の状況を的確に表現しています。
- 例文:
The two companies were so focused on outdoing each other that a new startup captured the market. It’s a classic case of two dogs fighting for a bone, and a third running away with it.
(その2社は互いを出し抜くことに集中しすぎて、新しいスタートアップ企業に市場を奪われてしまった。二匹の犬が骨を争い、三匹目が持ち去るという典型的なケースだ。)
まとめ – 「鴉鷺の争い」から学ぶ現代の知恵
「鴉鷺の争い」は、目先の競争に心を奪われると、より大きな利益を失いかねないという普遍的な教訓を私たちに示してくれます。
ビジネスや人間関係において、ライバルとの競争は避けられないこともあります。しかし、その争い自体が目的になってしまうと、周囲の状況が見えなくなり、思わぬ第三者に足元をすくわれかねません。
このことわざは、常に大局的な視点を持ち、時には協調することも重要であると、現代社会を生きる私たちに教えてくれるのです。




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