身の回りのものを最新の流行で固め、外見を飾ることに必死になってしまう。
そんな日々に、ふと疲れを感じることはないでしょうか。
たとえ使い古したものを身につけ、生活が質素であっても、その人の志や気品が失われるわけではありません。
外見の華やかさよりも内面の豊かさを尊ぶ、そんな凛とした生き方を、
「襤褸を着ても心は錦」(ぼろをきてもこころはにしき)と言います。
意味・教訓
「襤褸を着ても心は錦」とは、外見はみすぼらしくても、心の中は錦のように気高く、美しく誇り高いことを意味します。
身なりや生活環境といった物質的な貧しさに左右されず、人間としての品格や高い志を持ち続けることの尊さを説いた教訓です。
- 襤褸(ぼろ):使い古して破れた布や、それを継ぎ合わせた粗末な衣服のこと。
- 錦(にしき):金銀の糸や色糸を使って豪華な模様を織り出した、最高級の絹織物のこと。
語源・由来
「襤褸を着ても心は錦」の由来は、江戸時代の庶民の間に根付いた美意識や道徳観にあります。
「襤褸(ぼろ)」は貧しさの象徴であり、対する「錦(にしき)」は当時、最も豪華で価値のあるものの代名詞でした。
この極端な対比を用いることで、人間の価値は身につけている衣服の値段で決まるのではなく、内面に宿る「徳」や「志」によって決まるという考え方を表現しています。
特定の古典や物語が出典ではありませんが、『江戸いろはかるた』(京都・大阪などの上方版)の「を」の札として採用されたことで、教訓として日本中に広く定着しました。
単に貧乏を我慢するという消極的な意味ではなく、「どのような境遇にあっても自分自身のプライドを汚さない」という強い意志が込められています。
使い方・例文
外見や肩書きで人を判断せず、その人の本質や精神的な豊かさに焦点を当てる場面で使われます。
自分自身の心がけとして、あるいは他者の高潔な精神を称える際に用いられます。
例文
- 質素な生活ながら志高く生きる彼の姿は、まさに「襤褸を着ても心は錦」だ。
- 「襤褸を着ても心は錦というから、常に品位を保ちなさい」と祖母に諭された。
- 外見よりも内面を磨き、「襤褸を着ても心は錦」を地で行く人でありたい。
誤用・注意点
この言葉は、基本的には「本人の内面を称える」際や「自分自身の指針」として使うのが適切です。
他人の身なりを指して「あなたは襤褸を着ても心は錦ですね」と言うと、暗に相手の服装を「みすぼらしい」と指摘することになり、非常に失礼にあたるため注意が必要です。
また、単なる「片付けができない」「不潔である」ことの言い訳として使うのは誤りです。
あくまで、清らかな志や高い品格が備わっていることが前提の言葉であることを忘れてはなりません。
類義語・関連語
「襤褸を着ても心は錦」と似た意味を持つ言葉には、気高さや本質を重視する表現があります。
- 武士は食わねど高楊枝(ぶしはくわねどたかようじ):
武士は貧しくて食事ができなくても、食べたふりをして優雅に楊枝を使う。
苦しくても気位を高く持つことの例えです。 - 人は見かけによらぬもの(ひとはみかけによらぬもの):
外見だけでその人の性格や才能を判断することはできない、という教えです。 - 清貧(せいひん):
私欲を捨てて行いが正しいため、貧しくとも心安らかで品位があること。
対義語
「襤褸を着ても心は錦」とは対照的に、外見だけを飾り立てる様子を批判する言葉です。
- 羊頭狗肉(ようとうくにく):
看板には立派な羊の頭を掲げながら、実際には犬の肉を売る。
見かけと実質が一致しないことの例えです。 - 金衣玉食(きんいぎょくしょく):
金で飾った衣服を着て、玉のように貴重な器で食事をする。
非常に贅沢な暮らしのことで、内面よりも外的な豊かさを象徴します。
英語表現
「襤褸を着ても心は錦」を英語で表現する場合、外見に惑わされない本質を突くフレーズが適しています。
A noble heart may be found under a tattered cloak.
- 意味:「気高い心は、破れたマントの下に見つかることもある」
- 解説:日本語の「襤褸」を「tattered cloak(破れたマント)」に置き換えた、ほぼ同義の格言です。
Clothes do not make the man.
- 意味:「服が人を作るのではない」
- 解説:外見や服装によってその人の人格が決まるわけではない、という本質を説く表現です。
錦に込められた価値
この言葉の鍵となる「錦(にしき)」は、古くから皇室や貴族への献上品として扱われてきた特別な織物です。
現代で言えば、最高級のブランド品以上の価値を、当時の人々は「錦」という言葉に感じていました。
「心の中を錦にする」という表現には、単に綺麗であるというだけでなく、長い時間をかけて丁寧に織り上げられた芸術品のような、揺るぎない価値と美しさを自分の魂に持たせる、という精神的なプライドが反映されているのです。
まとめ
「襤褸を着ても心は錦」という言葉は、情報や物が溢れ、表面的な評価にさらされやすい現代において、自分自身の「本質」を見失わないための道標となります。
身なりを整えることも一つの礼儀ですが、それ以上に、誰にも見えない心の中に自分だけの美しい錦を織り続けること。
その矜持(きょうじ)を持つことで、どのような環境にあっても凛とした人生を歩むことができるようになることでしょう。






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