「もっと頑張らないと」「どうせなら、徹底的にやろう」と、物事に全力で取り組む姿勢は素晴らしいものです。
しかし、その努力が「度を過ぎて」しまい、かえって悪い結果を招いたり、周りに迷惑をかけたりした経験はありませんか。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し(すぎたるはなおおよばざるがごとし)」は、まさにそうした「やり過ぎ」の危険性を戒める、古くからの深い知恵を秘めた言葉です。
この記事では、この言葉の正確な意味、その由来となった孔子の逸話、日常生活での使い方、そして私たちが学ぶべき教訓について、分かりやすく解説します。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の意味・教訓
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」とは、「度を過ぎる(やり過ぎる)ことは、足りないことと(及ばないこと)と同じくらい良くない」という意味です。
「猶(なお)」は「やはり、ちょうど〜と同じだ」、「如し(ごとし)」は「〜のようだ」という意味を持ちます。
このことわざの核心にある教訓は、何事においても「中庸(ちゅうよう)」、すなわち、多すぎず少なすぎず、偏りのないバランスの取れた状態が最も望ましい、というものです。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の語源
この言葉の出典は、中国の古典『論語(ろんご)』の「先進篇」です。
ある時、孔子(こうし)の弟子である子貢(しこう)が、二人の兄弟弟子、子張(しちょう)と子夏(しか)について「どちらが優れていますか」と尋ねました。
孔子は「子張は度を過ぎるところがあり(過ぎ)、子夏は控えめで足りないところがある(及ばず)」と評しました。
それを聞いた子貢が「では、やり過ぎる子張の方が優れているのですね?」と重ねて問うと、孔子は「いや、過ぎたるは猶及ばざるが如し(やり過ぎることは、足りないことと同じように良くないのだ)」と答え、どちらも中庸の徳から外れていると諭しました。
この逸話から、この言葉は「やり過ぎ」と「不足」のどちらにも偏らない「中庸」の重要性を説く言葉として、広く知られるようになりました。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の使い方と例文
現代でも、行き過ぎた言動や過剰な行為を戒めたり、その結果を評したりする場面で広く使われます。
良かれと思ってやったことが裏目に出た時や、熱心すぎるあまりに周りが見えなくなっている人への忠告、あるいは過剰な健康法や節約術など、あらゆる「やり過ぎ」に対して用いることができます。
例文
- 「健康のために毎日10キロ走っていたが、膝を痛めてしまった。過ぎたるは猶及ばざるが如しで、適度な運動が一番大切だと痛感した。」(健康管理)
- 「部下の成長を願うあまり、細かく指示を出しすぎて彼の自主性を奪ってしまった。過ぎたるは猶及ばざるが如し、適度な距離感で見守ることも上司の役割だ。」(マネジメント)
- 「親切心から友人にあれこれアドバイスをしていたら、かえって距離を置かれるようになった。過ぎたるは猶及ばざるが如しというが、善意も度を越せば迷惑になるのだと学んだ。」(人間関係)
- 「子どもの将来を思って習い事を詰め込んだ結果、勉強嫌いになってしまった。過ぎたるは猶及ばざるが如しで、子どもの意思を尊重しながら見守るべきだった。」(子育て・教育)
類義語・関連語
「やり過ぎ」や「節度」に関連する言葉を紹介します。
- 過ぎたるは及ばざるに同じ(すぎたるはおよばざるにおなじ):
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の現代語訳や、やや簡略化された言い方。 - ほどほど:
多すぎず少なすぎず、適度な様子。このことわざが示す理想の状態。 - 匙加減(さじかげん):
料理の味付けのように、物事の程度や状況をうまく調節すること。
関連する概念
- 中庸(ちゅうよう):
儒教(特に『論語』や『中庸』)における中心的な徳の一つ。
多すぎたり少なすぎたり、どちらか一方に偏ったりせず、常に調和のとれた中正の状態を保つこと。このことわざが説く核心的な思想です。
対義語
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」が「過剰も不足も良くない」とするのに対し、逆に「過剰(多い・大きい)方が良い」とする考え方を示すことわざです。
- 大は小を兼ねる(だいはしょうをかねる):
大きいものは小さいものの役目も果たすことができるから、どうせなら大きい(多い)方が便利で良い、という考え方。 - 腐っても鯛(くさってもたい):
優れた価値を持つものは、多少状態が悪くなってもその価値を失わない、という意味。
英語での類似表現
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」の「やり過ぎは良くない」というニュアンスを伝える英語表現です。
Too much of a good thing.
- 意味:「良いものでも多すぎれば害になる」
- 解説:文字通り「良いこと(a good thing)」でも「多すぎる(Too much)」と、それはもはや良くない、という表現です。
- 例文:
Sleep is important, but sleeping 12 hours a day might just make you feel tired. Too much of a good thing.
(睡眠は大事だが、1日12時間も寝たら、かえって疲れるかもしれない。過ぎたるは猶及ばざるが如し、だ。)
Enough is as good as a feast.
- 意味:「十分(な量)は、ごちそう(大量)と同じくらい良い」
- 解説:必要にして十分な量があれば、それは贅沢なごちそう(過剰な量)と同じだけの価値がある、という意味で、満足(中庸)を説く表現です。
- 例文:
You don’t need to buy the most expensive model. This one works perfectly fine. Enough is as good as a feast.
(一番高いモデルを買う必要はないよ。これで十分機能する。過ぎたるは猶及ばざるが如し(=十分な量が一番良い)だよ。)
まとめ – 「過ぎたるは猶及ばざるが如し」から学ぶ知恵
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」は、孔子の時代から現代に至るまで、私たちに「バランス感覚(中庸)」の大切さを教え続けてくれる言葉です。
努力は必要ですが、それが「やり過ぎ」になれば、かえって健康を害したり、人間関係を損ねたりする原因にもなります。また、「不足」を恐れるあまり、過剰に何かを求めることも、本質から遠ざかることになりかねません。
仕事、勉強、健康、人間関係など、あらゆる場面で「自分にとっての『ちょうど良い加減』はどこか」と立ち止まって考える。それが、このことわざが私たちに与えてくれる、豊かな人生を送るためのヒントと言えるでしょう。



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