朽木は雕るべからず

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ことわざ 故事成語
朽木は雕るべからず
(きゅうぼくはほるべからず)
異形:朽木は彫るべからず

12文字の言葉き・ぎ」から始まる言葉

「いくら教えても暖簾に腕押し」
「やる気がない人間に何を言っても無駄だ」

……そんな徒労感を感じた時、古の聖人・孔子でさえも匙(さじ)を投げたというエピソードがあります。

それがこの「朽木は雕るべからず」という言葉です。
教育や指導の現場において、最も厳しい「見切り」の言葉として知られています。

「朽木は雕るべからず」の意味・教訓

「朽木は雕るべからず(きゅうぼくはほるべからず)」とは、腐ってしまった木には彫刻を施すことができないように、志が低く根性の腐った人間は、いくら教育しようとしても大成しないという教えです。

単に能力が低いことを指すのではなく、「やる気がない」「怠惰である」「精神がたるんでいる」といった内面的な資質を強く批判し、教育を放棄するほどの失望を表します。

  • 朽木(きゅうぼく):腐ってボロボロになった木材。
  • 雕る(ほる):彫刻する。「彫る」とも書きます。
  • べからず:〜してはいけない、〜できない。

「朽木は雕るべからず」の語源・由来

この言葉の出典は、中国の古典『論語』(公冶長第五)です。
儒教の祖である孔子が、弟子の宰予(さいよ)に対して放った激しい叱責の言葉として知られています。

なぜ孔子は激怒したのか?

ある日、孔子の弟子である宰予が、部屋で昼寝をしていました。
それを見た孔子は、こう嘆きました。

「朽木は雕るべからず、糞土の牆は杇るべからず」
(腐った木には彫刻ができないし、汚れた土で作った壁は上塗りができない。)

孔子は続けて、「お前のような怠け者を、これ以上叱っても何になろうか(いや、叱っても無駄だ)」と言い放ちました。
ただの昼寝でここまで言われるのは厳しすぎる気もしますが、孔子は宰予の「口先ばかりで実行が伴わない態度」に以前から不満を持っており、この昼寝が決定打となって失望が爆発したと言われています。

「朽木は雕るべからず」の使い方・例文

現代では、何度注意しても改善が見られない人や、そもそもやる気が感じられない人に対して、諦めや失望を表現する際に使われます。

例文

  • 何度言っても遅刻癖が治らない彼には、もう何も言うまい。「朽木は雕るべからず」だ。
  • 期待していた新人だったが、あんなに無責任だとは思わなかった。「朽木は雕るべからず」、教育係を降りさせてもらうよ。
  • 自分自身が「朽木は雕るべからず」と言われないよう、気を引き締めて努力しなければならない。

「朽木は雕るべからず」の続きとセット表現

由来の項で触れた通り、この言葉には対句となる続きがあります。

糞土の牆は杇るべからず(ふんどのしょうはぬるべからず)

  • 意味:腐った土や汚物で作った壁(牆)には、上塗り(杇る=左官仕事)をして綺麗に仕上げることができない。
  • 解説:「朽木〜」と全く同じ意味で、どうしようもない人物をたとえています。「朽木糞土(きゅうぼくふんど)」という四字熟語としても使われます。

「朽木は雕るべからず」の類義語

教育や改善の無駄を表す言葉です。

  • 馬鹿に付ける薬はない(ばかにつけるくすりはない):
    愚かさは治らないという、非常に近い意味を持つことわざ。
  • 糠に釘(ぬかにくぎ):
    柔らかいぬかに釘を打つように、意見や忠告をしても全く手応えや効き目がないこと。
    暖簾に腕押し」も同義。
  • 焼け石に水(やけいしにみず):
    わずかな努力や援助では、全く効果があがらないこと。

「朽木は雕るべからず」の対義語

教育の可能性や、努力の重要性を説く言葉です。

  • 玉磨かざれば光なし(たまみがかざればひかりなし):
    優れた素質があっても、努力して磨かなければ才能は発揮されない。裏を返せば「磨けば光る」という希望を含んでいます。
  • 鉄は熱いうちに打て(てつはあついうちにうて):
    人は柔軟性のある若いうちに鍛えるべきだという教え。教育のタイミングの重要性を説いています。

「朽木は雕るべからず」の英語表現

Rotten wood cannot be carved.

  • 意味:「腐った木は彫ることができない」
  • 解説:『論語』の英訳として定着している表現です。
  • 例文:
    It’s a waste of time to teach him. Rotten wood cannot be carved.
    (彼に教えても時間の無駄だ。朽木は雕るべからずと言うだろう。)

「朽木は雕るべからず」に関する豆知識:叱られた弟子のその後

孔子に「腐った木」「汚れた土」とまで酷評された弟子の宰予(さいよ)ですが、その後どうなったのでしょうか?

実は彼は、そのままダメな弟子として終わったわけではありません。
『論語』の中では、孔子の優れた弟子10人(孔子十哲)の一人に数えられ、「弁舌に優れている」と評価されています。

彼は孔子に対して鋭い質問や反論をすることも多く、形式を重んじる孔子とは相性が悪かったようですが、その弁論の才能は孔子も認めるものでした。
「朽木は雕るべからず」は、期待していた弟子だからこその、孔子の「愛の鞭(あるいは激しい癇癪)」だったのかもしれません。

まとめ – 自分を腐らせないために

「朽木は雕るべからず」は、他人に向ければ「お前は見込みがない」という強烈な絶縁状になります。
しかし、自分自身に向ければ「怠惰に流されて腐ってはいけない」という強力な戒めの言葉になります。

木は一度腐ると元には戻りません。心や志が腐ってしまう前に、日々の行いを正すこと。この言葉は、私たちに「自己規律」の大切さを教えてくれています。

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