意味
「朽木は雕るべからず(きゅうぼくはえるべからず)」とは、腐ってボロボロになった木には彫刻ができないように、やる気のない者や素質のない者は、いくら教育しても立派にはならないという意味です。
相手を見限る、強い失望を込めた言葉です。
- 朽木(きゅうぼく): 腐った木材。
- 雕る(える): 彫刻を施す。
語源・由来
出典は中国の思想書『論語』です。
孔子が、弟子である宰予の怠惰を見限った際のエピソードに由来します。
ある日、宰予が昼間から寝ているのを見て、孔子はこう言いました。
朽木不可雕也,糞土之牆,不可杇也;於予與何誅!
(腐った木に彫刻はできず、汚れた土の壁に上塗りはできない。宰予を叱っても何になろう。)
なお、後半の「糞土の牆(ふんどのしょう)は〜」も全く同じ意味を持ちます。
両者を組み合わせた「朽木糞土(きゅうぼくふんど)」という略称も存在します。

使い方・例文
- 基礎的な練習すら面倒がる彼に対し、コーチは朽木は雕るべからずと指導を打ち切った。
- どれほど手厚い環境を用意しても、本人が怠惰では朽木は雕るべからずである。
- 恩師から朽木は雕るべからずと見限られないよう、常に自らを律する。
類義語・関連語
「朽木は雕るべからず」の類義語には、以下のような言葉が挙げられます。
- 馬鹿に付ける薬はない(ばかにつけるくすりはない):
愚かさを根本から治す方法はどこにも存在しないこと。 - 糠に釘(ぬかにくぎ):
柔らかいぬかに釘を打つように、意見や忠告をしても全く手応えや効き目がないこと。 - 焼け石に水(やけいしにみず):
わずかな努力や援助では、全く効果があがらないこと。
「朽木は雕るべからず」と「馬鹿に付ける薬はない」の違い
どちらも相手の改善を諦める際によく使われますが、見限る「理由」が大きく異なります。
| 言葉 (よみがな) | 批判の対象 | 諦めの理由 |
|---|---|---|
| 朽木は雕るべからず (きゅうぼくはえるべからず) | やる気や素質のない人間 | いくら教えても身につかないため |
| 馬鹿に付ける薬はない (ばかにつけるくすりはない) | 思慮が浅く愚かな人間 | 性格や知能の根本は治せないため |
対義語
「朽木は雕るべからず」の対義語には、以下のような言葉が挙げられます。
- 玉磨かざれば光なし(たまみがかざればひかりなし):
優れた素質があっても、努力して磨かなければ才能は発揮されないこと。
裏を返せば「磨けば必ず光る」という可能性を示す。 - 鉄は熱いうちに打て(てつはあついうちにうて):
人は柔軟性のある若いうちにこそ鍛えるべきだという教え。
教育のタイミングの重要性を説く。
英語表現
You can’t teach an old dog new tricks
直訳: 老いた犬に新しい芸は仕込めない
意味: 凝り固まった習慣や性根は変えることができないこと。
He refuses to listen to any advice. You can’t teach an old dog new tricks.
(どんな助言にも耳を貸さない彼には、まさに朽木は雕るべからずである。)
朽木は雕るべからずと叱られた宰予は、孔門十哲の一人
「腐った木」「汚れた土」とまで孔子に酷評された弟子の宰予ですが、実はただのダメな弟子で終わったわけではありません。
『論語』に記された孔子の優れた高弟たち、いわゆる「孔門十哲」の一人に、この宰予がしっかりと名を連ねています。
彼の才能は「言語(弁舌)」の分野においてずば抜けており、孔子の教えに鋭く切り込んだり、時には堂々と反論したりするほどの切れ者でした。
宰予の昼寝を叱った同じ章で、孔子は、以前は人の言葉を聞けばその行いも信じていたが、宰予のことがあってからは、言葉を聞いても行いを確かめるようになった、とも述べています。









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