慣用句

馬脚を現す

(ばきゃくをあらわす)

隠していた本性や悪事が明るみに出ること。芝居の失敗や、化け物が正体を現した物語に由来。


9文字の言葉は・ば・ぱ」から始まる言葉
馬脚を現す ことば
スポンサーリンク

意味

「馬脚を現す」とは、隠していた本性や悪事が明るみに出ることのたとえです。

主に、それまで上手にごまかしていた嘘や、実力不足、悪い企みなどが、ふとした拍子に露見してしまうネガティブな状況で使われます。

  • 馬脚(ばきゃく):馬の足。
  • 現す(あらわす):隠れていたものを外に出すこと。

単に秘密がばれるだけでなく、「立派に見せていたが、実は中身が伴っていなかった」「善人のふりをしていたが悪人だった」というギャップ(失望)が含まれるのが特徴です。

語源・由来

「馬脚を現す」の由来には、中国の古典演劇と、日本の芝居という2つの背景があります。

1. 中国の古典演劇(元曲)の一節

歴史的に古い由来は、中国の「元曲(げんきょく)」という演劇作品に見られます。
元の時代の戯曲『包待制陳州糶米ほうたいせいちんしゅうちょうべい』に、悪事を働いた者が「馬脚」の露れることを恐れる、という一節があります。
ここから「隠していた正体がばれること」を「馬脚を露す」と言うようになり、これが日本に伝わったとされています。

2. 日本の芝居(歌舞伎・文楽)での失敗

日本でこの言葉が定着した背景には、歌舞伎や人形浄瑠璃などの芝居の影響があります。
芝居に馬が登場する際、本物ではなく、張りぼての馬の中に人が入って演じることがあります(この役を「馬の足」と呼びます)。
本来、中の役者は姿を見せてはいけませんが、演技中に衣装が乱れるなどして、中の人間の足(馬脚)が見えてしまい、芝居が台無しになることがありました。

この「見えてはいけない中身が見えてしまった」という失敗談が、現在の「ボロが出る」という意味につながっています。

使い方・例文

「馬脚を現す」は、詐欺師が正体を知られたり、実力がないのに有能なふりをしていた人が失敗したりする場面で使われます。
自分からばらすのではなく、「隠しきれずに露呈してしまう」というニュアンスが強い言葉です。

  • 誠実な実業家を装っていたが、強引な投資勧誘でついに馬脚を現し、逮捕された。
  • 知ったかぶりで会話に合わせていたが、専門的な質問ですぐに馬脚を現した
  • どんなに猫を被っていても、一緒にお酒を飲めばすぐに馬脚を現すだろう。

類義語・関連語

「馬脚を現す」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。

  • 化けの皮が剥がれる(ばけのかわがはがれる):
    本性を隠していた外見や見せかけが取れて、正体が現れること。
  • 尻尾を出す(しっぽをだす):
    隠していたことの証拠や手がかりをうっかり見せること。ごまかしきれなくなること。キツネやタヌキが化ける話に由来します。
  • 地金が出る(じがねがでる):
    メッキが剥げて中の金属が出るように、取り繕っていた外聞が剥がれて、その人の本質(悪い部分)が現れること。
  • 正体を現す(しょうたいをあらわす):
    隠していた身元や本性を明らかにすること。

対義語

「馬脚を現す」とは対照的な意味を持つ言葉には、本性を隠し通す様子を表す言葉が挙げられます。

  • 猫を被る(ねこをかぶる):
    本性を隠して、おとなしそうに見せること。
  • 羊頭狗肉(ようとうくにく):
    見かけは立派な羊の肉に見せかけて、実際は安い犬の肉を売ることから、見かけ倒しで中身が伴わないこと(まだばれていない、あるいは騙している状態)。

英語表現

「馬脚を現す」を英語で表現する場合、正体がばれることを意味するイディオムを使います。

give oneself away

「正体を現す、ボロを出す、秘密を漏らす」を意味する表現。意図せずに自分の秘密や正体を相手に渡してしまう(away)というニュアンスを持つ。

He tried to lie, but his shaking hands gave him away.
(彼は嘘をつこうとしたが、手の震えで馬脚を現した。)

show one’s true colors

直訳は「本性を現す」で、船が国旗(colors)を掲げて所属を示すことから、本当の旗色(正体)を見せることを指す表現。

In times of crisis, people show their true colors.
(危機の時にこそ、人は馬脚を現す(本性を現す)ものだ。)

もう一つの説は禅問答から

この言葉には、芝居とは別の由来説もあります。
北宋の禅僧・黄龍慧南おうりょうえなん(1002〜1069)が学人に投げかけた三つの問いのうち、二つ目が「我が脚、何ぞ驢脚ろきゃくに似たる」でした。

自分の脚とロバの脚はどこが違うのか、という問いです。
この三問は「黄龍三関」と呼ばれ、慧南は三十年にわたって問い続けたと伝えられます。
ここから「驢脚おのずからあらはなり」という言い方が生まれ、それが「馬脚」に変わったとする説があります。

スポンサーリンク

コメント