孔子に論語

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ことわざ 慣用句 故事成語
孔子に論語
(こうしにろんご)
異形:孔子に説法

7文字の言葉こ・ご」から始まる言葉
孔子に論語 【個別】ことわざ・慣用句・四字熟語

プロの料理人に向かって、テレビで覚えたての隠し味をこれ見よがしに教える。
そんな、相手の専門分野について得意げに説く滑稽な状況を、
「孔子に論語」(こうしにろんご)と言います。

意味・教訓

「孔子に論語」とは、その道の専門家に対して、その人が最も得意とする分野のことを教えようとする愚かさのたとえです。

自分の実力や相手の立場をわきまえず、余計な助言や指導をしてしまうことへの戒めや、自嘲(じちょう)の意味を込めて使われます。
「孔子」とは儒教の開祖であり、「論語」はその教えをまとめた書物であるため、本人にその内容を説くことの無意味さを強調しています。

  • 孔子(こうし):中国の春秋時代の思想家。儒教の開祖。
  • 論語(ろんご):孔子とその弟子の言行を記録した書物。

語源・由来

「孔子に論語」の由来は、儒教の開祖である孔子とその教えを記した『論語』の関係性にあります。

『論語』は孔子の死後、弟子たちが「先生はこうおっしゃっていた」という記憶を整理して編纂(へんさん)したものです。
いわば孔子の思想そのものであり、その教えの主である孔子本人に向かって「『論語』にはこう書いてありますよ」と教え諭(さと)すのは、いかにも場違いで的外れな振る舞いです。

この「本人が一番よく知っていることを、わざわざ外から教える」という矛盾した状況から、身の程知らずな行為を指す言葉として定着しました。
江戸時代の『江戸いろはかるた』の読み札として採用されたことで、庶民の間にも広く普及しました。

使い方・例文

「孔子に論語」は、相手が自分よりもはるかに知識や経験を持っている分野において、誤ってアドバイスをしてしまった際や、第三者の的外れな指導を揶揄(やゆ)する場面で使われます。

解説文は簡潔に留め、日常生活のさまざまなシーンを想定した用例を挙げます。

例文

  • 料理研究家の叔母に味付けのコツを話すなんて、まさに孔子に論語だった。
  • プロのピアニストに指の動かし方を教えるのは、孔子に論語というものだ。
  • 近所の道を熟知している人に近道の解説をするのは、孔子に論語だよ。
  • ベテラン整備士に工具の使い方を指導するのは、孔子に論語で失礼にあたる。

文学作品・メディアでの使用例

『三四郎』(夏目漱石)

主人公の三四郎が、都会的で洗練された女性である美禰子(みねこ)とのやり取りの中で、自分の発言が相手にとって今更であることを自覚する文脈などで、この言葉が引かれています。

釈迦に説法、孔子に論語で、僕などがあなたにこんな事を言うのは、おかしいかも知れませんが……

誤用・注意点

「孔子に論語」は、単に「教えるのが難しい」という意味ではなく、「教える相手が自分より圧倒的に格上である」という前提があります。

そのため、相手が初心者や同等の実力者である場合には使いません。
また、目上の人に対して「私に教えるなんて孔子に論語ですよ」と言うと、自分を孔子になぞらえて相手を侮辱することになります。
※目上の人に対して使うのは失礼にあたるため、自身の振る舞いを反省する際や、第三者の様子を形容する際に使うのが適切です。

類義語・関連語

「孔子に論語」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。

  • 釈迦に説法(しゃかにせっぽう):
    仏教の開祖である釈迦に、仏の教えを説くこと。最も一般的で、意味もほぼ同じです。
  • 河童に水練(かっぱにすいれん):
    泳ぎの達人である河童に泳ぎ方を教えること。
  • 猿に木登り(さるにきのぼり):
    木登りが得意な猿に登り方を教えること。

英語表現

「孔子に論語」を英語で表現する場合、以下の定型句が最もニュアンスを正確に伝えます。

Teach one’s grandmother to suck eggs

「祖母に卵の吸い方を教える」
経験豊富な年長者に対して、若者が当たり前のことを教えようとする滑稽さを表す、英語圏で非常にポピュラーな表現です。

  • 例文:
    Don’t try to teach your grandmother to suck eggs.
    釈迦に説法(孔子に論語)はやめなさい。

『論語』の成り立ちと孔子

この言葉の面白さは、孔子と『論語』の独特な関係にあります。

実は孔子自身が『論語』という本を執筆したわけではありません。
孔子の死後、彼の弟子たちが「先生は生前、あのような時あのように仰っていた」と思い起こし、それらを編纂(へんさん)して一冊の書物にまとめたのが『論語』です。

つまり、『論語』の内容は孔子の人生そのものであり、孔子本人がその教えの源流です。
その源流に対して支流の者が教えを説こうとする姿は、滑稽であると同時に、教える側の「無知」を際立たせる効果を持っています。

まとめ

「孔子に論語」は、相手への敬意を欠いた、身の程知らずな行動を戒める言葉です。

現代社会においても、相手のバックグラウンドを知らずに得意げに持論を展開し、後で相手がその道のプロだと知って赤面するという場面は少なくありません。
何かを教えようとする前に、一歩立ち止まって相手の経験や立場を尊重すること。
その大切さを、この言葉はユーモアを交えて教えてくれていると言えるかもしれません。

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