意味
「いずれ菖蒲か杜若(いずれあやめかかきつばた)」は、二つのものがどちらも優れていて優劣がつけがたいという意味です。
美しく咲き誇る菖蒲と杜若が、どちらも魅力的で選びがたい様子にたとえています。
アヤメとカキツバタはよく似た花であることから、どちらも同じようで区別がつけにくいという意味でも使われます。
語源・由来
南北朝時代成立の『太平記』に記された武将・源頼政の逸話に由来するとされます。
鵺(ぬえ)退治の功績で上皇から美女・菖蒲前を賜る際、よく似た美女たちの中から本物を選ぶよう命じられました。
困惑した頼政が「五月雨に沢辺の真薦水越えていづれ菖蒲と引きぞわづらふ(五月雨で沢の水かさが増して真菰が水に隠れ、どれが菖蒲か見分けて引き抜くのに迷う)」と詠むと、その場にいた関白がこの和歌に感じ入り、自ら菖蒲前の袖を引いて頼政に与えました。


(写真:+-、Wikimedia Commons/CC BY-SA 3.0)
使い方・例文
「いずれ菖蒲か杜若」は、複数の対象がどれも優れており、評価や選択に迷う場面で使われます。
- 最終選考に残った二つの企画案はいずれ菖蒲か杜若で、審査員を悩ませた。
- 姉妹揃って見目麗しく、まさにいずれ菖蒲か杜若である。
- 老舗旅館の海鮮料理と肉料理、いずれ菖蒲か杜若でどちらから箸をつけるか迷う。
誤用・注意点
双方のレベルが低く大差がない状況を指して「いずれ菖蒲か杜若」と用いるのは誤りです。
「どちらも優れていて選べない」場合か、「よく似ていて区別がつけにくい」場合に使います。
また、植物のカキツバタは「燕子花」とも書きますが、このことわざでは「杜若」と書くのが一般的です。
類義語・関連語
「いずれ菖蒲か杜若」と似た意味を持つ言葉には以下のようなものがあります。
- 春蘭秋菊(しゅんらんしゅうぎく):
春の蘭と秋の菊のように、どちらも美しく優劣がつけがたいこと。春蘭秋菊ともに廃すべからずとも言う。 - 兄たり難く弟たり難し(けいたりがたくていたりがたし):
双方の実力や才能が拮抗しており、優劣の順位を決められない状態。 - 甲乙つけがたい(こうおつつけがたい):
どちらが優れているか、第一席と第二席の判断を下すのが困難な様子。 - 伯仲(はくちゅう):
互いの力や能力が釣り合っており、はっきりとした差がないこと。
対義語
「いずれ菖蒲か杜若」と反対の意味を持つ言葉には以下のようなものがあります。
- 月とスッポン(つきとすっぽん):
二つのものを比較した際、価値や性質がかけ離れており全く釣り合わないこと。 - 雲泥の差(うんでいのさ):
天の雲と地の泥ほど、両者の間に極めて大きな隔たりがある状態。 - 提灯に釣鐘(ちょうちんにつりがね):
形は似ていても、重さや価値などが根本的に異なり比較にならない様子。
英語表現
Six of one and half a dozen of the other
直訳:一方が6つで、他方が半ダース
意味:二つのものに明確な違いや差がほとんど見られない状態。
Shall we take the bus or the train? It’s six of one and half a dozen of the other.
(バスにするか電車にするか。どちらも大差ない。)
源頼政の歌の「あやめ」は花のアヤメでなくショウブ
源頼政の歌「いづれあやめと引きぞわづらふ」の「あやめ」は、紫の花を咲かせる今のアヤメではありません。
古くは、端午の節句に菖蒲湯に入れる、香りの強い水辺の草のショウブを「あやめ」と呼んでいました。
ショウブの花は穂の形をした地味なもので、今のアヤメの花は、昔は「はなあやめ」と呼んで区別していました。
歌が「引き」と詠むのも、沢に生えたショウブを引き抜く情景だからです。
「いずれ菖蒲か杜若」は、この歌を踏まえて後の時代に生まれた言い方です。
こちらの「菖蒲」は今のアヤメの花を指し、花のよく似たカキツバタと並べられています。
歌では水辺の草のショウブだった「あやめ」が、ことわざでは見分けにくい花の名になっています。











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