意味
「米百俵(こめひゃっぴょう)」とは、乏しい蓄えをその場で使い切らず、先で何倍にもなって返ってくるものに回すという意味です。
苦しい状況でも、今の欲求を我慢して教育や人材育成に力を注ぐ姿勢を評価する場面で使われます。
耐え忍んで未来に賭ける決断をたたえる、教訓めいた響きを持つ言葉です。
語源・由来
「米百俵」は、幕末から明治にかけて越後長岡藩(現在の新潟県長岡市)で実際に起きた出来事に由来する言葉です。
戊辰戦争で敗れた長岡藩は、城下が焼け野原となったうえ、石高を7万4千石から2万4千石に減らされ、藩士たちは食べるものにも事欠いていました。
そうしたなかでも、明治2年(1869年)には焼け残った寺の本堂を借りて、藩の学校である国漢学校が開かれています。
翌年、窮状を知った支藩の三根山藩から見舞いの米百俵が届くと、藩の大参事(= 明治初めの藩の重役)だった小林虎三郎は、これを藩士に分けずに売り、代金を学校の書籍や器具をそろえる資金にあてました。
同じ年の6月には、国漢学校の新しい校舎が城下の坂之上町に開校しています。
この故事をもとに劇作家の山本有三が書いた戯曲『米百俵』では、早く米を分けろといきり立つ藩士たちに向かって、虎三郎が「この百俵は、今でこそただの百俵だが、後年には一万俵になるか、百万俵になるか、はかりしれないものがある」と語りかけます。
使い方・例文
この言葉は、「米百俵の精神」「米百俵の考え」のように、後ろに「精神」「考え」などを付けた形でよく使われます。
- 業績が厳しくても、社長は米百俵の精神で研修費を削らなかった。
- 財政難の自治体が、あえて教育予算を守ったのは米百俵の発想からだ。
- 苦しい今こそ米百俵の考えが必要だと、彼は語った。
類義語・関連語
「米百俵」と同じように、将来を見据えた長期的な判断の大切さを表す言葉には、以下のようなものがあります。
- 百年の計(ひゃくねんのけい):
遠い将来まで見通した計画や方針。
「米百俵」と「百年の計」の違い
どちらも将来を見据えた考え方を表しますが、由来と焦点に違いがあります。
| 語句 | 由来・焦点 |
|---|---|
| 米百俵 (こめひゃっぴょう) | 長岡藩の実話に基づく、目先の欲を抑えて教育に投資する決断 |
| 百年の計 (ひゃくねんのけい) | 国家や事業の運営を長期的な視点で計画する考え方全般 |
「米百俵」は、2001年の首相演説で流行語になった
山本有三の戯曲『米百俵』は、1943年(昭和18年)に新潮社から出版されてよく売れましたが、のちに絶版となりました。
それから約30年後の1975年、長岡市が『米百俵 小林虎三郎の思想』として復刻出版し、1979年と2001年には東京の歌舞伎座でも上演されています。
2001年5月7日、就任したばかりの小泉純一郎首相は国会の所信表明演説でこの故事を紹介し、「今の痛みに耐えてあすをよくしようという米百俵の精神こそ、改革を進めようとする今日の我々に必要ではないでしょうか」と述べました。
「米百俵」はこの年の新語・流行語大賞で、「聖域なき改革」「骨太の方針」などとともに年間大賞に選ばれています。










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