意味
「蜀犬日に吠ゆ(しょっけんひにほゆ)」とは、無知のために、あたりまえのことを怪しむこと、また見識の狭い者が、優れた人の言動を疑って非難することのたとえです。
相手の狭い了見を皮肉る、批判的な響きを持つ言い回しです。
語源・由来
この言葉は、中国唐代の文人柳宗元が、教えを乞うた青年韋中立に宛てた手紙「答韋中立論師道書」に由来します。
友人である文人の韓愈が人に教えを説く「師」を名乗り出たところ、世間の物笑いになったという出来事を受け、柳宗元は次のように書いています。
屈子賦曰、「邑犬群吠、吠所怪也。」僕往聞庸蜀之南、恒雨少日、日出則犬吠。
(楚の詩人屈原の賦に「村里の犬が群れて吠えるのは、見慣れないものを怪しむからだ」とある。私はかつて、蜀(現在の四川省一帯)の南方はいつも雨が多く、晴れる日が少ないため、日が出ると犬が吠える、と聞いていた。)
屈原の言葉どおり、太陽をめずらしがって怪しみ吠える蜀の犬の話を、柳宗元は見識の狭い者が優れた人の言動を非難する様子に重ねています。
使い方・例文
- 彼の企画をけなす上司の態度は、まさに蜀犬日に吠ゆだ。
- 新技術を頭ごなしに否定する論評を、ある記者は蜀犬日に吠ゆだと批判した。
夏目漱石『草枕』での使用例
『草枕』(夏目漱石)
東京へ二十年も出ていない山寺の和尚が、電車に乗ってみたいと話し、画工に「つまらんものですよ」と返されて、自分のような田舎者はかえって困るかもしれないと答える場面で使われています。
そうかな。蜀犬日に吠え、呉牛月に喘ぐと云うから、わしのような田舎者は、かえって困るかも知れんてのう
「蜀犬日に吠ゆ」の手紙で、対になるのは越の犬
「蜀犬日に吠ゆ」の由来となった柳宗元の手紙には、もう一つ犬の話が続きます。
柳宗元は当初、蜀の南方で日が出ると犬が吠えるという話を言い過ぎだと思っていましたが、南方に赴任して二年目の冬、大雪が嶺を越えて降ったとき、その土地の犬たちが慌てて吠えかかり、何日も走り回るのを目にしました。
そこで初めて、以前聞いていた蜀の話も本当だったと信じるようになったと綴っています。
続けて柳宗元は、「師」を名乗った韓愈はすでに蜀の日となり、韋中立は柳宗元を南越(現在の広東省・広西チワン族自治区一帯)の雪にしようとしている、と書き、日にも雪にも落ち度はなく、吠えるのは犬のほうだと述べています。
手紙の結びでも、越と蜀の犬に吠えられるような騒ぎを招かなければ幸いだ、と二つの犬の話を並べています。
一方、日本で「蜀犬日に吠ゆ」と組み合わせて使われてきたのは、越の犬ではなく呉牛月に喘ぐ(ごぎゅうつきにあえぐ)です。
暑さを嫌う呉の水牛が月を見ても太陽と見間違えて喘ぐという、世説新語の「言語」篇に由来する別の話で、必要のない心配をすることのたとえとして使われます。
夏目漱石も『草枕』で、この二つをまとめて引用しました。



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