穏やかな微笑みをたたえ、すべてを包み込んでくれるような慈悲深い相手であっても、その忍耐には必ず限界があります。
一度や二度は許されたとしても、無礼や過ちが重なれば、やがて静かな怒りが爆発することでしょう。
そんな状況を、「仏の顔も三度」(ほとけのかおもさんど)と言います。
意味・教訓
「仏の顔も三度」とは、どんなに慈悲深く温厚な人であっても、無礼なことを何度も繰り返されれば怒り出すという意味です。
もともとは「仏の顔も三度撫(な)ずれば腹を立てる」という言葉が略されたものです。
「仏の顔も三度まで」と表現されることも多いですが、これは「三度目までは許してくれる」という猶予ではなく、「三度目にはもう許さない」という限界点を指しています。
相手の寛大さに甘え続けることへの強い戒めです。
語源・由来
「仏の顔も三度」の由来は、釈迦(しゃか)が故郷であるカピラ城の滅亡を食い止めようとした故事にあるとされています。
釈迦は、故郷を侵攻しようとする琉璃王(るりおう)の軍勢の前に、三度にわたって道中に座り込み、その威徳をもって軍を退かせました。
しかし、王の復讐心は消えず、四度目の進軍が行われたとき、釈迦は「宿縁は避けがたい」として、ついに姿を現しませんでした。
この「三度までは慈悲を垂れるが、四度目はない」という厳格な態度が転じて、現代の「三度目には怒る」という形に定着しました。
使い方・例文
相手の優しさに甘えて失礼を重ねている状況や、ついに堪忍袋の緒が切れた場面で使用します。
例文
- 遅刻を繰り返す部下に、部長は仏の顔も三度と言い渡し、厳重注意を行った。
- 弟の度重なるいたずらに、姉は仏の顔も三度とばかりに怒鳴った。
- 何度も約束を破る彼に、仏の顔も三度と絶交を告げた。
誤用・注意点
「三度目」に怒るのか「四度目」に怒るのかで迷う人が多いですが、語源の「三度撫ずれば」に基づけば、三度目の無礼で怒ると解釈するのが一般的です。
また、この言葉は目上の人に対して使うと、「あなたは仏(のように普段はおとなしい人)だ」と評することになり、場合によっては失礼にあたります。
自分自身の怒りを表現する際や、同等あるいは目下の人への忠告として使うのが適切です。
類義語・関連語
「仏の顔も三度」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。
- 堪忍袋の緒が切れる(かんにんぶくろのおがきれる):
我慢の限界を超えて、抑えていた怒りが爆発すること。 - 兎も七日なぶれば噛みつく(うさぎもなぬかなぶればかみつく):
おとなしい者でも、度重なるいじめや無礼を受ければ反撃することの例え。 - 地蔵の顔も三度(じぞうのかおもさんど):
「仏」を「地蔵」に置き換えた同義語。
対義語
「仏の顔も三度」とは対照的な意味を持つ言葉には、以下のものがあります。
- 七たびを七十倍するまで許せ(ななたびをななじゅうばいするまでゆるせ):
相手の過ちに対し、回数を定めず、無限に許し続けなさいという聖書由来の教え。
英語表現
「仏の顔も三度」を英語で表現する場合、以下の定型句がニュアンスとして近いです。
Even a saint’s patience has limits
直訳:聖人の忍耐にも限界がある。
「聖人(セイント)のような徳の高い人でも、我慢には限度がある」という、日本語の「仏」を「聖人」に置き換えた表現です。
- 例文:
I have forgiven you twice, but even a saint’s patience has limits.
(二度は許したが、仏の顔も三度というものだ。)
Beware the fury of a patient man
直訳:忍耐強い男の怒りに注意せよ。
普段おとなしい人が一度怒ると非常に恐ろしい、という意味で使われる格言です。
豆知識:三度の「撫でる」の正体
この言葉の原型は「仏の顔も三度撫ずれば腹を立てる」ですが、なぜ「撫でる」ことが怒りに繋がるのでしょうか。
本来、仏の顔を撫でる行為は、信仰心からの「供養」や「親愛」を示すものでした。
しかし、いくら良かれと思っての行為であっても、度を越してしつこく行えば、それは不敬(失礼)にあたります。「善意であっても、相手の状況を考えずに繰り返せば無礼になる」という、人間関係の機微を含んだ言葉でもあります。
まとめ
「仏の顔も三度」という言葉は、私たちの日常における「甘え」に対する警鐘と言えるかもしれません。
相手の寛大さに寄りかかりすぎず、常に敬意を払うことの大切さを教えてくれます。
この言葉の重みを理解しておくことで、大切な人との絆を不用意な怒りで壊すことなく、より豊かな関係を築いていけることでしょう。






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