意味
「仏の顔も三度(ほとけのかおもさんど)」とは、どんなに慈悲深く温厚な人であっても、無礼なことを何度も繰り返されれば怒り出すという意味です。
もともとは「仏の顔も三度撫ずれば腹立つ」という言葉が略されたものです。
「仏の顔も三度まで」と表現されることも多いですが、これは「三度目までは許してくれる」という猶予ではなく、「三度目にはもう許さない」という限界点を指しています。
相手の寛大さに甘え続けることへの強い戒めです。
語源・由来
「仏の顔も三度」は、江戸時代中期から使われてきたことわざです。
もとの形「仏の顔も三度撫ずれば腹立つ」は、どんなに穏やかな仏でも、面と向かって顔をなでるような失礼を三度も繰り返されれば腹を立てる、という意味です。
「仏」は、穏やかでめったに怒ることのない人のたとえです。
使い方・例文
相手の優しさに甘えて失礼を重ねている状況や、ついに堪忍袋の緒が切れた場面で使用します。
例文
- 遅刻を繰り返す部下に、部長は仏の顔も三度と言い渡し、厳重注意を行った。
- 弟の度重なるいたずらに、姉は仏の顔も三度とばかりに怒鳴った。
- 何度も約束を破る彼に、仏の顔も三度と絶交を告げた。
誤用・注意点
「三度目」に怒るのか「四度目」に怒るのかで迷う人が多いですが、語源の「三度撫ずれば」に基づけば、三度目の無礼で怒ると解釈するのが一般的です。
また、この言葉は「これ以上は許さない」という警告になるため、目上の人に向かって使うのは避けます。
自分自身の怒りを表現する際や、同等あるいは目下の人への忠告として使うのが適切です。
類義語・関連語
「仏の顔も三度」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。
- 堪忍袋の緒が切れる(かんにんぶくろのおがきれる):
我慢の限界を超えて、抑えていた怒りが爆発すること。 - 兎も七日なぶれば噛みつく(うさぎもなぬかなぶればかみつく):
おとなしい者でも、度重なるいじめや無礼を受ければ反撃することの例え。 - 地蔵の顔も三度(じぞうのかおもさんど):
「仏」を「地蔵」に置き換えた同義語。
対義語
「仏の顔も三度」とは対照的な意味を持つ言葉には、以下のものがあります。
- 七たびを七十倍するまで許せ(ななたびをななじゅうばいするまでゆるせ):
相手の過ちに対し、回数を定めず、無限に許し続けなさいという聖書由来の教え。
英語表現
「仏の顔も三度」を英語で表現する場合、以下の定型句がニュアンスとして近いです。
Beware the fury of a patient man
直訳:忍耐強い男の怒りに注意せよ。
普段おとなしい人が一度怒ると非常に恐ろしい、という意味で使われる格言です。
明治期のことわざ集の多くは「仏の顔も三度」の形
もとの形の後半「撫ずれば腹立つ」は、このことわざが広く知られるにつれて省かれました。
ことわざは広まると削れる部分を削るのが通例で、明治期になると、ほとんどのことわざ集が「仏の顔も三度」の形で載せています。















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