ことわざ 慣用句

犬に論語

(いぬにろんご)

道理の通じない相手に何を教えても、全く効果がないことのたとえ。


6文字の言葉 / 「い」から始まる言葉
犬に論語 ことば
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意味

「犬に論語(いぬにろんご)」とは、高尚な教えを聞かせても理解されず、無駄骨に終わってしまうという意味です。

語源・由来

「論語」とは、中国の思想家・孔子とその弟子たちの言行録であり、儒教の最も重要な経典の一つです。
古くから人が学ぶべき最高の道徳や知恵が詰まった書物として尊ばれてきました。

そのありがたい「論語」を、言葉を理解しない「犬」に読み聞かせたとしても、犬はただきょとんとするばかりで何一つ理解できません。
このことから、道理の通じない相手には何を説いても無駄だというたとえになりました。
江戸時代中ごろの浄瑠璃『本領曾我ほんりょうそが』(1706年ごろ)には、すでに「犬に論語といふたとへ」と出てきます。

使い方・例文

「犬に論語」は、相手の態度や能力が原因で、こちらの助言や説得が全く役に立たない場面で使われます。

話の通じない相手を嘆く独り言として使うこともあれば、第三者の様子を評して使うこともあります。

例文

  • 筋道を立てて何度説明しても、自分の非を認めない彼には犬に論語だ。
  • 列に割り込むのはよくないと説いても、平気で割り込みを繰り返す人には犬に論語だろう。

誤用・注意点

侮蔑的なニュアンス

この言葉は、比喩として相手を「犬(言葉を解さない存在)」に見立てる構造になっています。

そのため、本人に面と向かって使うと、相手を犬にたとえることになり、強い反発を招きます。
話が通じなかったことを、あとで嘆くときに使うほうが無難です。

類義語・関連語

「犬に論語」と似た意味を持つ言葉には、次のようなものがあります。

  • 馬の耳に念仏(うまのみみにねんぶつ):
    ありがたい念仏も馬にはただの雑音にしか聞こえないことから、意見をしても効き目がないこと。
    最も一般的な類語。
  • 猫に小判(ねこにこばん):
    価値の分からない者に高価なものを与えても無駄であること。
    「効果がない」というよりは「価値が理解されない」点に重きがある。
  • 豚に真珠(ぶたにしんじゅ):
    「猫に小判」と同様、価値の分からない者に貴重なものを与えても無意味であること。
    キリスト教(新約聖書)由来の言葉。
  • 暖簾に腕押し(のれんにうでおし):
    力を入れても手応えがなく、張り合いがないこと。
    相手の反応のなさを表す。
  • 牛に対して琴を弾ず(うしにたいしてことをだんず):
    牛に名曲を聴かせても意味がないこと。
    「対牛弾琴(たいぎゅうだんきん)」という四字熟語にもなっている。
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対義語

「犬に論語」とは対照的な意味を持つ言葉は以下の通りです。

  • 一を聞いて十を知る(いちをきいてじゅうをしる):
    物事のほんの一部を聞いただけで、全体を理解してしまうこと。
    非常に賢く、察しが良いことのたとえ。
  • 打てば響く(うてばひびく):
    問いかけに対してすぐに反応が返ってくること。
    理解や反応が極めて早いさま。

英語表現

「犬に論語」を英語で表現する場合、似たような動物の比喩や、日常的な慣用句が使われます。

Casting pearls before swine

直訳は「豚の前に真珠を投げる」。
日本の「豚に真珠」のもとになった、新約聖書の言葉です。
価値の分からない相手に貴重なものを与える無駄さを説きます。

Like talking to a brick wall

直訳は「レンガの壁に話しかけているようだ」。
どれだけ話しても相手が無反応であったり、聞き入れなかったりする様子を表します。
「暖簾に腕押し」や「馬の耳に念仏」のニュアンスに近い、現代的な会話表現です。

Trying to explain this to him is like talking to a brick wall.
(彼にこれを説明するのは、犬に論語のようなものだ。)

論語は百済くだらの王仁わにが伝えたとされる

『論語』が日本に伝わったいきさつは、『古事記』に記されています。
応神おうじん天皇のとき、百済くだらから来た王仁わに(『古事記』では和邇吉師わにきし)が、『論語』十巻と『千字文』一巻を献上したという話です。
『日本書紀』にも王仁は登場しますが、皇子に学問を教えたと書くだけで、書名は挙げていません。

ところが『千字文』(千の異なる漢字を一度ずつ使った、漢字の手本)は、6世紀前半に梁りょうの周興嗣しゅうこうしが作ったもので、応神天皇の時代にはまだありませんでした。
この食い違いもあって、王仁が実在したのか、来たのはいつかについては、今も議論が続いています。
真偽はともかく、『論語』は日本の学問の始まりとして語られるほど重んじられてきた書物です。

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