踏んだり蹴ったり

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慣用句
踏んだり蹴ったり
(ふんだりけったり)

8文字の言葉ふ・ぶ・ぷ」から始まる言葉
踏んだり蹴ったり 【個別】ことわざ・慣用句・四字熟語

出先で突然の雨に降られ、慌てて飛び乗った電車を乗り間違え、さらには大切な届け物を忘れたことに気づく。そんな風に、不運が立て続けに重なって散々な目に遭う状況を、
「踏んだり蹴ったり」(ふんだりけったり)と言います。

意味・教訓

「踏んだり蹴ったり」とは、重ね重ねひどい目に遭うことのたとえです。

一度の不幸にとどまらず、悪い出来事が連続して起きたり、徹底的に痛めつけられたりして、どうしようもない惨めな状況に陥ることを指します。
単にタイミングが悪いだけでなく、自分ではどうにもできない「災難の波」に飲み込まれ、心身ともに疲れ果ててしまうようなニュアンスを含んでいます。

語源・由来

「踏んだり蹴ったり」の語源は、文字通り「足で踏みつけ、さらに蹴り上げる」という激しい暴行の様子にあります。
本来、自分が被害を受ける側であれば「踏まれたり蹴られたり」と受け身で言うのが文法的に自然ですが、なぜ能動的な表現になったのかについては、主に二つの説があります。

一つは、もともと「相手を激しく踏んだり蹴ったりする」という喧嘩の描写があり、それが転じて「そのような凄惨な状況そのもの」を指すようになり、最終的に被害者の嘆きとして定着したという説。
もう一つは、単に「ふまれたりけられたり」よりも「ふんだりけったり」の方がリズム(語呂)が良く、言いやすかったために言葉が変化したという説です。
現在では、自分が加害者であるという意味で使われることはなく、ひどい仕打ちを受けた際の決まり文句として定着しています。

使い方・例文

自分の身に降りかかった災難の多さや、事態のひどさを強調したい場面で使われます。

例文

  • 「朝から財布を落とし、雨にも降られ、踏んだり蹴ったりだ。」
  • 「遅刻した上に宿題も忘れ、踏んだり蹴ったりの目に遭う。」
  • 「怪我をした上に服まで破れて、まさに踏んだり蹴ったりだ。」
  • 「予約を間違え文句も言われ、踏んだり蹴ったりな一日だった。」

文学作品での使用例

『吾輩は猫である』(夏目漱石)

明治時代を代表する小説です。主人公である猫が、人間たちから受ける不遇な扱いを嘆く文脈の中で、この言葉が効果的に使われています。

かように踏んだり蹴ったりにせられて、平気でいられるような、そんな意気地(いくじ)のない猫ではない。

類義語・関連語

「踏んだり蹴ったり」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。

  • 泣きっ面に蜂(なきっつらにはち):
    不運な時に、さらに別の不幸が重なること。
  • 弱り目に祟り目(よわりめにたたりめ):
    困っている時に、さらに災難が重なること。
  • 一難去ってまた一難(いちなんさってまたいちなん):
    一つの災難を切り抜けた直後に、また別の困難が襲ってくること。

対義語

「踏んだり蹴ったり」とは対照的に、物事が好転したり手厚く扱われたりすることを指す言葉です。

  • 盆と正月が一緒に来たよう(ぼんとしょうがつがいっしょにきたよう):
    嬉しいことやめでたいことが、一度に重なること。
  • 至れり尽くせり(いたれりつくせり):
    配慮が行き届いていて、申し分ない扱いを受けること。
  • 順風満帆(じゅんぷうまんぱん):
    物事がすべて順調に進み、何の障害もない様子。

英語表現

「踏んだり蹴ったり」を英語で表現する場合、以下の定型句がよく使われます。

Add insult to injury

「怪我に侮辱を加える」という意味です。物理的な被害(怪我)を受けた上に、さらに精神的なダメージ(侮辱)を上塗りされるような状況を指します。

  • 例文:
    It rained on my vacation, and to add insult to injury, I lost my wallet.
    休暇中に雨が降っただけでなく、踏んだり蹴ったりなことに財布まで失くした。

It never rains but it pours

「降れば必ず土砂降りになる」という意味のことわざです。悪いことは一つだけでは終わらず、まとめてやってくる様子を表現します。

  • 例文:
    First my car broke down, and then I lost my keys. It never rains but it pours.
    車が故障し、次に鍵を失くした。まさに踏んだり蹴ったりだ。

まとめ

「踏んだり蹴ったり」は、不運が重なり、心身ともに疲れ果ててしまったときに漏れる切実な言葉です。
一度ならず二度三度と不運が重なると、投げ出したくなることもあるでしょう。
しかし、この言葉が古くから親しまれていることは、誰もがそうした「散々な日」を経験し、それを乗り越えてきた証とも言えます。
嵐が過ぎ去るのを待つように、静かに明日を待つ心の余裕を大切にしたいものですね。

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