意味
「捨てる神あれば拾う神あり(すてるかみあればひろうかみあり)」とは、世の中にはさまざまな人がいるため、自分を見捨てる人がいても、一方で助けてくれる人も必ずいるという意味です。
- 捨てる神:自分を見限ったり、冷遇したりする人や状況。
- 拾う神:自分の価値を認め、チャンスや救いの手を与えてくれる人や状況。
一つの不運や人間関係の破綻ですべてが決まるわけではないという「励まし」の教訓が込められています。
語源・由来
「捨てる神あれば拾う神あり」は、中世から似た言い方が見られることわざで、古くは「すつる神あれば引きあぐる神あり」と言いました。
「拾う神」の代わりに「助ける神」とした「捨てる神あれば助ける神あり」の形も江戸時代から見られ、今も併用されています。
使い方・例文
「捨てる神あれば拾う神あり」は、失敗して落ち込んでいる人への励ましや、不運の後に予期せぬ幸運が訪れた際の実感として用いられます。
- 「不採用の直後に別会社から誘われた。まさに捨てる神あれば拾う神ありだ。」
- 「選抜に漏れたが他チームから熱心な勧誘を受けた。捨てる神あれば拾う神ありだね。」
- 「失恋して落ち込む友人を、捨てる神あれば拾う神ありだと励ました。」
類義語・関連語
「捨てる神あれば拾う神あり」と似た意味を持つ言葉には、人の情けや運命の好転を説くものがあります。
- 渡る世間に鬼はなし(わたるせけんにおにはなし):
世の中には無慈悲な人ばかりではなく、困ったときに助けてくれる親切な人も必ずいるということ。 - 人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま):
人生の幸・不幸は予測しがたく、悪いことが良い結果に転じることもあるということ。 - 待てば海路の日和あり(まてばかいろのひよりあり):
今は状況が悪くても、焦らずに待っていれば必ず幸運な機会が巡ってくるということ。
「捨てる神あれば拾う神あり」と「渡る世間に鬼はなし」の違い
どちらも人の情けを説く言葉ですが、焦点が異なります。
「捨てる神あれば拾う神あり」は、悪いことが起きた直後に別の誰か(救い手)が現れるという、対比と救済を言います。
「渡る世間に鬼はなし」は、他人の善意を信じるという、より広い人情を言います。
対義語
「捨てる神あれば拾う神あり」とは対照的な意味を持つ言葉は、不幸が重なる様子を表すものが該当します。
- 泣きっ面に蜂(なきっつらにはち):
不幸なことが起きているときに、さらに追い打ちをかけるような不運に見舞われること。 - 踏んだり蹴ったり(ふんだりけったり):
災難に遭っているときに、さらに別の災難が重なること。
英語表現
「捨てる神あれば拾う神あり」を英語で表現する場合、扉の開閉に例えた言い方があります。
When one door shuts, another opens
「一つの扉が閉まれば、別の扉が開く」という意味です。
一つの機会を失っても、必ず新しい機会が訪れるというニュアンスで、日本語の表現に非常に近い感覚で使われます。
Don’t be so depressed. When one door shuts, another opens.
(そんなに落ち込まないで。捨てる神あれば拾う神ありだよ。)
西鶴『世間胸算用』に出る「引上ぐる神」
古い形「すつる神あれば引きあぐる神あり」の後半「引上ぐる神」は、井原西鶴の『世間胸算用』(1692年)に出てきます。
巻五の「平太郎殿」で、大晦日の夜の寺に来た伊勢生まれの男が、自分の身の上を語るくだりです。
男は入り婿で、故郷の伊勢に貸した銀を取り立てに行きましたが、相手はみな行方知れずで、手ぶらで帰ってきました。
家では餅もつき薪も買ってあったので、男は「世は歎くまじ、又引上ぐる神もありて」(世の中は嘆くことはない、引き上げてくれる神もいて)と喜びます。
ところが妻は、その米は自分の身を質に入れて高い利息で借りたものだと言い、膳を取り上げて男を家から追い出しました。
西鶴はことわざの後半の「引上ぐる神」だけを書き、前半の「すつる神」は読み手に思い出させています。
引き上げてくれる神がいたと喜んだその晩に家を追われるのですから、男に当たったのは「捨てる神」のほうでした。












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