晴れ渡る空が急に雲に覆われて雨が降り出すこともあれば、激しい嵐のあとに美しい虹が架かることもあります。
人の一生もそれと同じように、良いことと悪いことは切り離せず、絶えず移り変わっていくものです。
そんな人生の幸不幸が交互にやってくる様子を、
「禍福は糾える縄の如し」(かふくはあざなえるなわのごとし)と言います。
意味・教訓
「禍福は糾える縄の如し」とは、幸福(福)と不幸(禍)は、まるでより合わせた一本の縄のように交互にやってくるものである、という意味です。
この言葉は、人生の幸不幸は表裏一体であり、常に変化し続けるという真理を示しています。
良いことがあっても慢心せず、逆に悪いことがあっても絶望する必要はないという、中庸の精神を説く教訓が含まれています。
語源・由来
「禍福は糾える縄の如し」の由来は、中国の前漢時代に記された歴史書『史記』の「南越伝」にあります。
南越(現在の中国南部周辺)では、王と太后が漢への内属を望んだのに対し、丞相の呂嘉がこれに反対して王・太后と漢の使者を殺し、そのために漢に攻められて国は滅びました。
「南越伝」の巻末では、司馬遷がこの興亡や漢の将軍たちの成否を振り返り、「成敗之轉,譬若糾墨」(成功と失敗の入れ替わりは、より合わせた縄のようなものだ)と評しています。
同じ論評には「因禍為福」(災いがかえって福につながった)という句も見え、禍と福、成功と失敗は絶えず入れ替わるという見方が示されています。
「禍福は糾える縄の如し」は、目先の状況に一喜一憂せず、物事を長期的な視点で捉える重要性を伝える言葉として定着しました。
使い方・例文
人生の大きな転機や、予想外の展開が続いた際、あるいは誰かを励ましたり戒めたりする場面で使用されます。
例文
- 事業の失敗でどん底だったが、禍福は糾える縄の如しで新たな良縁に恵まれた。
- 試合に負けて弱点を知り、後の優勝に繋がった。まさに禍福は糾える縄の如しだ。
- 高額当選の後にトラブルが続いた知人を見て、禍福は糾える縄の如しを痛感する。
- 悪いことの後には必ず良いことがあると、禍福は糾える縄の如しを信じて前を向く。
類義語・関連語
「禍福は糾える縄の如し」と似た意味を持つ、人生の無常や転換を表す言葉を紹介します。
- 人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま):
人生の幸不幸は予測できず、何が幸福で何が不幸かは後にならないと分からないというたとえ。 - 沈む瀬あれば浮かぶ瀬あり(しずむせあればうかぶせあり):
人生には悪い時もあれば、良い時もあるという浮き沈みのたとえ。 - 苦あれば楽あり(くあればらくあり):
苦しいことの後には、必ず楽しいことが待っているという励ましの表現。
対義語
「禍福は糾える縄の如し」とは対照的に、変化のない状態や目先の感情に囚われる様子を指す言葉です。
- 一喜一憂(いっきいちゆう):
状況が変わるたびに、喜んだり不安になったりすること。 - 万事順調(ばんじじゅんちょう):
物事がすべて都合よく、滞りなく進んでいる状態。 - 順風満帆(じゅんぷうまんぱん):
追い風を受け、船が帆をいっぱいに張って進むように、物事が極めて順調に運ぶたとえ。
英語表現
「禍福は糾える縄の如し」に近い英語の言い回しには、次のようなものがあります。
Fortune and misfortune are two buckets in a well
「幸運と不運は井戸の中の二つの桶のようなものだ」という比喩表現です。
一方が上がれば一方が下がる、という表裏一体の性質を表します。
His life shows that fortune and misfortune are two buckets in a well.
(彼の人生は、まさに幸運と不運が常に入れ替わるものであることを示している。)
「禍福は糾える縄の如し」の「糾う」は糸をより合わせること
この言葉の核となる「糾える(あざなえる)」は、現代では聞き慣れない表現ですが、非常に豊かなイメージを持っています。
これは「糾う(あざなう)」という動詞の連体形で、「細い糸や繊維をより合わせる」「編む」という意味です。
つまり「糾える縄」とは、二本の繊維がねじれ合いながら一本の太い縄を形作っている状態を指します。
幸福という糸と不幸という糸が、バラバラにあるのではなく、互いに絡み合いながら「人生」という一本の縄になっている、というのがこのことわざのたとえです。














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