四字熟語

付和雷同

(ふわらいどう)

自分にしっかりとした定見がなく、むやみに他人の意見に賛成すること。

短縮形:雷同
異形:雷同付和

6文字の言葉 / 「ふ・ぶ・ぷ」から始まる言葉
付和雷同 ことば
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意味

「付和雷同(ふわらいどう)」とは、自分なりの考えを持たず、周りの意見にわけもなく同調してしまうことを表す四字熟語です。
二つの熟語に分けると、次のようになります。

  • 付和(ふわ):他人の説に、わけもなく賛成すること。
  • 雷同(らいどう):雷が鳴ると万物がそれに響き応じるように、むやみに他人の言動に同調すること。

単に「協調性がある」「空気が読める」という肯定的な意味ではなく、自分の意思や信念がないことを批判する文脈で使われます。

語源・由来

「付和雷同」の由来は、古代中国の儒教の経典『礼記(らいき)』にある一節です。

『礼記』の「曲礼上(きょくれいじょう)」という章には、人が守るべき礼儀作法として、次のような教えが記されています。

「毋剿説、毋雷同」
(人の説を掠(かす)め取るようなことをしてはならない。雷が鳴れば万物が響くように、むやみに同調してはならない。)

この「雷同」という言葉に、後に「付和(わけもなく賛成する)」が結びつき、四字熟語として定着しました。
雷の大きな音に地上の物が否応なく震わされる自然現象を、主体性を失った人間の心理に見立てた表現です。

使い方・例文

「付和雷同」は、主に「主体性のなさ」を指摘・批判する場合や、自分自身への戒め(反省)として使われます。
ビジネスシーンだけでなく、学校生活やご近所付き合い、SNSでの拡散行為など、集団心理が働くあらゆる場面で使用されます。

例文

  • 議論の場で付和雷同してばかりいると、意見のない人だと信用を失う。
  • 彼は立場の強い人が発言すると、すぐ付和雷同して意見を翻す癖がある。
  • クラスのいじめに付和雷同することは、いじめている本人と同じ罪を背負うことだ。

誤用・注意点

決して褒め言葉として使わないでください。
「あなたは周りと合わせるのが上手ですね」というつもりで「あなたは付和雷同ですね」と言うのは、「あなたは自分の考えがない人間ですね」と言っているのと同じであり、大変な侮辱になります。

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類義語・関連語

「付和雷同」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。

  • 唯々諾々(いいだくだく):
    事の善悪に関わらず、他人の言いなりになって従うこと。
    「唯々」も「諾々」も、「はいはい」と逆らわずに答える声を表します。
  • 尻馬に乗る(しりうまにのる):
    物事の良し悪しを深く考えず、無批判に人の後について便乗すること。
  • 阿付迎合(あふげいごう):
    相手の機嫌をとり、その意向に媚びへつらうこと。

「付和雷同」と類義語の違い

いずれも自分の意思なく他人に合わせる様子を表しますが、何に対して、どう同調するかが異なります。

語句同調の対象ニュアンス
付和雷同
(ふわらいどう)
周りの「意見」理由なく賛同する主体性の欠如
唯々諾々
(いいだくだく)
目上の「命令・意向」逆らわず従う服従的な態度
尻馬に乗る他人の勢い良し悪しを考えず便乗する日和見さ

対義語

「付和雷同」とは対照的な意味を持つ言葉は以下の通りです。

  • 独立独歩(どくりつどっぽ):
    他人に頼らず、自分の力と判断で信じる道を進むこと。
  • 和して同ぜず(わしてどうぜず):
    人と協調はするが、道理に外れたことにはむやみに賛成しないこと。
    『論語』にある孔子の言葉で、主体性のある態度の理想とされます。
  • 定見(ていけん):
    物事に対する、変わることのないしっかりとした自分の考え。
    「付和雷同」は、この「定見」がない状態と言えます。

英語表現

「付和雷同」を英語で表現する場合、以下のような言い回しがあります。

follow blindly

直訳は「盲目的に従う」で、何も考えずにただついていくという意味で使われる表現です。

Don’t follow others blindly.
(他人に付和雷同してはいけない。)

jump on the bandwagon

パレードの楽隊車(バンドワゴン)に飛び乗ることから、流行や優勢な側につくことを指す表現です。
日本語では「時流に乗る」「勝ち馬に乗る」にあたる言い方。

Many people jumped on the bandwagon.
(多くの人が付和雷同した/時流に乗った。)

王陽明の手紙に出てくる「附和雷同」

陽明学を開いた明の思想家王陽明おうようめいは、人に宛てた返書の中で「附和雷同」の四字を使っています。
南宋の儒学者陸象山りくしょうざんの学問が「禅学だ」と決めつけられていることについて、王陽明は次のように書きました。

世之儒者附和雷同,不究其實,而概目之以禪學,則誠可冤也已。

(世の儒者は付和雷同して実際を確かめず、ひとまとめに禅学と見なしている。まことに濡れ衣というほかない)
『礼記』が戒めた「雷同」は、この手紙では、中身を確かめずに世の評判に乗る学者を責める「附和雷同」の形で使われています。

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