意味
「只管打坐」は、「只管打坐する」の形でも使われます。
ただひたすら坐禅をすることを表し、禅宗、とくに曹洞宗でいう仏語です。
- 只管(しかん):ひたすら。
- 打坐(たざ):坐禅をすること。
語源・由来
「只管打坐」は、道元の『正法眼蔵』(1231〜53年)に由来する言葉です。
『正法眼蔵』は100巻に編む意図で書き進められましたが、未完に終わりました。
道元は天童如浄の「参禅は坐禅なり」という言葉を受けて、只管打坐を重んじました。
使い方・例文
「只管打坐」は、坐禅の心構えを述べる場面や、禅の教えを紹介する場面で使われます。
- 老師は弟子に、只管打坐の一語だけを繰り返し伝えた。
- 曹洞宗の道場では、只管打坐の教えに従って坐る。
- 早朝の堂内では、僧たちが只管打坐して身じろぎもしない。
「祗管打坐」という書き方
「只管打坐」は「祗管打坐」とも書きます。
読みはどちらも「しかんたざ」で、意味に違いはありません。
類義語・関連語
「只管打坐」と同じように、心を一つのことに向けきることを表す言葉には以下のようなものがあります。
- 一心不乱(いっしんふらん):
一つのことに心を集中させ、他のことに全く気をとられないこと。 - 三昧(さんまい):
心を一つの対象に集中して動揺しない状態を表す仏語。
「只管打坐」と「一心不乱」の違い
どちらも一つのことに心を向けきる状態を言う言葉で、集中のありようを語る場面で並びます。
分かれるのは、坐禅という行いに限って使う言葉か、対象を選ばずに使える言葉かという点です。
| 語句 | 向ける先 |
|---|---|
| 只管打坐 (しかんたざ) | 坐禅という行いに限る |
| 一心不乱 (いっしんふらん) | 対象を選ばない |
英語表現
「只管打坐」にそのまま重なる英語固有の表現は見当たりません。
坐禅そのものは日本語のまま英語に取り入れられ、zazen という語が英語でも使われています。
zazen
禅宗で行う、座ったまま行う瞑想を指す言い方。日本語の「坐禅」がそのまま英語に入ったもの。
He practises zazen every morning at the temple.
(彼は毎朝その寺で坐禅をしています。)
「只管」は「ひたすら」とも読む
「只管」は「ひたすら」の漢字表記でもあり、同じ読みに「一向」という書き方もあります。
只管打坐では音読みで「しかん」と読み、日本語の文章のなかでは訓で「ひたすら」と読まれます。
「ひたすら」には、そのことだけに集中するさまと、まったく・まるっきりというさまの二つの意味があります。









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