意味
「一球入魂(いっきゅうにゅうこん)」とは、野球において、ボールに触れる一つ一つの瞬間に全身全霊を傾ける姿勢のことです。
投げる、打つ、捕るという場面それぞれに当てはまり、野球にたずさわる人が座右の銘として掲げることの多い四字熟語です。
- 一球(いっきゅう):投げる、または打つ一つのボール。
- 入魂(にゅうこん):精魂を注ぎこむこと。

語源・由来
「一球入魂」は、大正から昭和にかけて学生野球を導いた飛田穂洲が説いた言葉とされます。
飛田は早稲田大学の野球部で選手と監督を務め、そののち新聞社に入って野球評論を書き、学生野球の父と呼ばれました。
飛田は「一球入魂」「快打洗心」などの言葉で「精神の野球」を説き、学生野球の健全な普及を導きました。
中国の古典などにさかのぼる言葉ではなく、日本の野球の現場から生まれた四字熟語です。
使い方・例文
「一球入魂」は、一つの動作に全力を注ぐ姿勢を語る場面で使われます。
- 監督は一球入魂と書いた紙をベンチの壁に貼っている。
- 一球入魂の投球が続き、球場は静まり返っていた。
- 最後の一年は一球入魂で投げ切ると決めている。
類義語・関連語
「一球入魂」と同じように、目の前の一つのことに力のすべてを注ぐ様子を表す言葉には以下のようなものがあります。
- 全身全霊(ぜんしんぜんれい):
体と心のすべてを傾けて物事に当たること。 - 一意専心(いちいせんしん):
脇目もふらず、一つのことに心を集中すること。 - 一心不乱(いっしんふらん):
ほかに気を取られず、一つのことに没頭すること。 - 一所懸命(いっしょけんめい):
命がけで一つの物事に取り組むこと。
「一球入魂」と「全身全霊」の違い
どちらも力のすべてを注ぐ様子を表しますが、注ぎ先の切り取り方が違います。
「一球入魂」はボールを扱う一瞬ごとに区切って言うのに対し、「全身全霊」は取り組み全体にかける言葉です。
| 語句 | 力を注ぐ単位 | 使う範囲 |
|---|---|---|
| 一球入魂 (いっきゅうにゅうこん) | ボール一つごと | 野球など球技 |
| 全身全霊 (ぜんしんぜんれい) | 取り組み全体 | 物事全般 |
英語表現
put one’s heart and soul into
一つひとつの動作に心のすべてを傾けることを表す言い方。
He puts his heart and soul into every pitch.
(彼は一球ごとに心のすべてを注いでいます。)
「一球入魂」の飛田穂洲、「快打洗心」も説く
「一球入魂」を説いた飛田穂洲は、1960年に野球殿堂入りしています。
選ばれたのは特別表彰の部で、早稲田大学の監督として黄金時代を築いたことと、文筆で野球の「鍛練的精神」を説き続けたことが理由に挙げられています。
飛田穂洲が「一球入魂」と並べて説いたのが「快打洗心」です。
「快打」は気持ちのよい当たり、「洗心」は『易経』の繋辞伝に出てくる、心を洗い清めるという意味の言葉です。
投げる一球に魂を込める「一球入魂」と、打つ一打で心を洗う「快打洗心」は、守りと攻めの心構えを四字ずつで言い分けた対の言葉です。










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