周囲から深く愛された人の後を引き継ぐ際、人々は無意識に過去を美化し、新しく来た人を常に「非の打ち所がない存在」と比較してしまいがちです。
そんな拭い去れない心理的な壁を、
「去り跡へは行くとも死に跡へは行くな」(さりあとへはゆくともしにあとへはいくな)と言います。
意味・教訓
「去り跡へは行くとも死に跡へは行くな」とは、再婚をするならば、離縁して家を去った人の後釜になるのは良いが、死別した人の後継ぎになるのは避けたほうがよいという教訓です。
離縁して去った人の場合、周囲に不満や問題が残っていることが多く、新しく来た者は歓迎されやすい傾向にあります。
対して死別した人の場合、遺族や周囲の中で故人の思い出が美化され、欠点が忘れられがちです。
そのため、後継者は常に「亡くなった人は立派だった」という理想像と比較され続け、精神的な苦労が絶えないことを示唆しています。
語源・由来
「去り跡へは行くとも死に跡へは行くな」は、日本の庶民の間で生活の知恵として古くから語り継がれてきました。
この背景には、日本人が古来持つ「死者は神格化される」という死生観が深く関わっています。
生きている人間同士であれば現実的な欠点も見えますが、亡くなった人は反論せず、良い記憶だけが抽出されます。
実体のない「完璧な虚像」と競わされる過酷さを、先人は多くの経験則から戒めたのです。
明確な出典となる文献はありませんが、江戸から明治時代にかけて、庶民の道徳観や処世術を反映した格言として定着しました。
使い方・例文
「去り跡へは行くとも死に跡へは行くな」は、再婚に際しての現実的な助言として使われるほか、組織やグループにおいて、人望の厚かった前任者の後を継ぐ際の難しさを例える場面でも用いられます。
例文
- 亡き先妻を慕う家庭への再婚に、「去り跡へは行くとも死に跡へは行くな」という言葉が頭をよぎる。
- 英雄視された前任店長の後を継ぎ、「去り跡へは行くとも死に跡へは行くな」の心境で苦労する。
- 比較されて落ち込む友人を、「去り跡へは行くとも死に跡へは行くな」という言葉で励ます。
誤用・注意点
「去り跡へは行くとも死に跡へは行くな」は、亡くなった人やその遺族を侮辱する意図で使うものではありません。
あくまで「新しくその場に入る側の心理的な苦労」を推察する言葉です。
そのため、死別を経験した当事者やその家族の前で不用意に口にするのは、非常に配慮に欠ける行為となります。
また、「去り跡(離縁の後)」なら必ず幸せになれるという意味でもありません。
周囲の評価のスタートラインが「負」であるか「理想」であるかという、心理的条件の違いを説いているに過ぎない点に留意が必要です。
類義語・関連語
「去り跡へは行くとも死に跡へは行くな」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。
- 亡き者はよし(なきものはよし):
死んだ者は悪く言われず、良い点ばかりが語り継がれるという心理を指す。 - 死んだ子の年を数える(しんだこのとしをかぞえる):
死んだ子供が生きていれば今ごろ何歳かと数えることから、取り返しのつかない過去を惜しみ続けることの例え。
英語表現
「去り跡へは行くとも死に跡へは行くな」を英語で表現する場合、以下の表現がニュアンスとして近くなります。
It is hard to step into a dead woman’s shoes.
「亡くなった女性の靴を履くのは難しい」
亡き先妻の立場を引き継ぐことが、心理的に非常に困難であることを示す英語の格言です。
- 例文:
Everyone kept praising the former wife, and she felt it is hard to step into a dead woman’s shoes.
誰もが先妻を褒め称えるため、彼女は亡き人の後を継ぐ難しさを痛感した。
記憶の美化と向き合う
この言葉が教えるのは、単なる再婚の是非ではなく、人間が持つ「思い出を美しく書き換える力」への警戒です。
人は失ったものを欠点のない「聖域」として心の中に保存してしまうことがあります。
仕事やプライベートで誰かの「代わり」を務めることになったとき、もし周囲からの冷ややかな比較に晒されたとしても、それはあなた自身の能力不足とは限りません。
相手が戦っているのは、あなたという実在の人物ではなく、心の中で作り上げられた「思い出という幻」なのかもしれないからです。
この言葉を知ることで、過度なプレッシャーから自分を解放するきっかけが得られることでしょう。
まとめ
「去り跡へは行くとも死に跡へは行くな」という言葉は、後釜として入る者が直面する、目に見えない比較の苦しみを描き出しています。
故人を大切にする心は尊いものですが、新しくその場を担う者にとっては、美化された過去が大きな壁となることも事実です。
この知恵を心に留めておくことで、他人の評価や過去の影に振り回されすぎず、自分らしい新しい関係や立場を築くための心の余裕が生まれることでしょう。







コメント