定年退職を迎えて自分自身の時間が持てるようになったとき、ふと「昔から興味があったあの楽器に挑戦してみたい」「語学を学び直してみたい」という思いが頭をよぎることがあります。
新しい世界へ踏み出すのに「今さら遅いのではないか」という不安を感じる必要はありません。
このように、還暦を過ぎたころや高齢になってから新しい習い事や勉強を始めることを、
「六十の手習い」(ろくじゅうのてならい)と言います。
人生の後半戦を豊かに生きようとする、前向きな姿勢を後押ししてくれる言葉です。
意味・教訓
「六十の手習い」とは、晩年になってから新しい知識や技能を学び始めることを意味します。
また、生涯を通して学び続けることの尊さを説く教訓としても使われます。
- 六十(ろくじゅう):
単に60歳という実年齢を指すだけでなく、人生の一つの大きな区切りや、隠居・引退後の時期を象徴しています。 - 手習い(てならい):
もともとは書道や読み書きの練習を指しましたが、現在では趣味、芸術、学問などあらゆる「学び」の総称です。
「学ぶことに年齢制限はない」「いつ始めても遅すぎることはない」というポジティブなメッセージが込められています。
語源・由来
「六十の手習い」は、江戸時代の庶民の暮らしの中から生まれ、現代まで受け継がれてきた言葉です。
江戸時代、文字の読み書きを教える「手習い所(寺子屋)」は主に子供たちが通う場所でしたが、隠居した後の楽しみとして筆を取り始める高齢者も多くいました。
この言葉は、江戸で広く普及した「江戸いろはかるた」の「ろ」の札(「論より証拠」が一般的ですが、地域や版により「六十の手習い」が採用されることもありました)や、日常的なことわざとして親しまれてきました。
かつての「人生五十年」と言われた時代において、還暦(60歳)は人生が一周して新しく生まれ変わる「第二の人生」のスタート地点とされていました。
そのため、60歳から新しいことを始めるのは、決して「手遅れ」ではなく「新たな出発」として非常に喜ばしいことと捉えられていたのです。
使い方・例文
「六十の手習い」は、自分自身の新しい挑戦を謙遜しつつも前向きに表現する際や、定年後の知人を励ます場面などで使われます。
家庭内での会話、趣味のサークル、地域活動など、リタイア後の生活を彩るシーンでよく馴染む表現です。
例文
- 定年を機に始めた油絵だが、まさに「六十の手習い」で毎日が新鮮だ。
- 「六十の手習いというけれど、お父さんの勉強熱心には驚かされるわ」と母が笑った。
- 「六十の手習い」のつもりでパソコン教室に通い始めたら、近所に友人が増えて生活が楽しくなった。
- 人生100年時代、「六十の手習い」は決して珍しいことではなく、むしろ推奨されるべき生き方だ。
文学作品での使用例
この言葉は、人生の秋を迎えた人々の心情を描くエッセイや小説などで、自己研鑽や謙遜の象徴として使われることがあります。
『福翁自伝』(福沢諭吉)
慶應義塾の創設者である福沢諭吉は、晩年になっても新しい知識を吸収しようとする姿勢を尊びました。自伝や著作の中で、生涯学習の重要性を説く文脈でこの精神に触れています。
(要旨)人間は死ぬまで学ぶべきものであり、「六十の手習い」を笑うような風潮こそが、個人の進歩を妨げるものである。
類義語・関連語
「六十の手習い」と似た意味を持つ言葉には、より高齢であることを指すものや、学ぶ姿勢そのものを称える言葉があります。
- 八十の手習い(はちじゅうのてならい):
80歳になってから学び始めること。六十の手習いをさらに強調した表現で、驚きや深い敬意が込められます。 - 晩学(ばんがく):
年をとってから学問を志すこと。 - 大器晩成(たいきばんせい):
大きな才能を持つ人は、人より遅れて成功を収めるということ。 - 生涯学習(しょうがいがくしゅう):
一生を通じて学び続けること。現代の教育行政や社会活動でよく使われる言葉です。
対義語
「六十の手習い」とは対照的に、若いうちに学ぶべきだという考えや、成長が止まってしまうことを示す言葉があります。
- 鉄は熱いうちに打て(てつはあついうちにうて):
精神が柔軟で吸収力の高い若いうちに鍛えるべきだ、という教え。 - 十で神童、十五で才子、二十過ぎれば只の人(とおでしんどう、じゅうごでさいし、はたちすぎればただのひと):
子供の頃に天才と呼ばれても、成長とともに平凡な人になってしまうこと。 - 旬を逃す(しゅんをのがす):
物事を始めるのに最適な時期を失ってしまうこと。
英語表現
「六十の手習い」の精神を英語で伝えるには、「遅くなっても、やらないよりは良い」というニュアンスのことわざが適しています。
Better late than never.
- 意味:「遅れても、全くやらないよりはマシだ」
- 解説:年齢に関わらず、何かを始めるのに遅すぎることはない、という励ましの場面で最も一般的に使われる定番の表現です。
- 例文:I started learning computer programming at 60. Better late than never, as they say.
(60歳でプログラミングを始めました。まさに「六十の手習い」ですね)
You are never too old to learn.
- 意味:「学ぶのに年を取りすぎているということはない」
- 解説:日本語の「六十の手習い」が持つ「生涯学習」の精神をストレートに表現した言葉です。
- 例文:My grandmother started a yoga class last month. You are never too old to learn.
(祖母は先月からヨガ教室に通い始めた。学ぶのに年齢は関係ないね)
数字の背景:70、80、100…応用が効く「人生の数字」
「六十の手習い」という言葉には、前述の通り「七十」や「八十」といったバリエーションも存在します。
しかし、あえて「六十」という言葉が代表して使われるのは、それが人生の大きな転換点である「還暦」と結びついているからです。
現代では、60歳はまだ現役で活躍する方も多く、かつてのような「隠居」のイメージは薄れています。
そのため、この言葉は単に60歳を指す固定的なラベルではなく、「70歳でも、80歳でも、さらには100歳であっても、その人が『今だ』と思った時が手習いの好機である」という、年齢の枠を超えた広がりを持って解釈されています。
「今さら」という言葉を「今から」に置き換える。
そんな柔軟な精神こそが、この言葉が時代を超えて愛され続ける理由なのです。
まとめ
「六十の手習い」という言葉は、私たちに「好奇心に定年はない」という明るいメッセージを届けてくれます。
何かを学び始めるのに、客観的な「遅すぎる時期」など存在しません。
新しい知識を得ることで世界が広がり、日々の生活に潤いが生まれる。
その喜びは、10代の学生であっても、80代のシニアであっても、全く同じ重みを持つものです。
もし、心の中に温めている挑戦があるのなら、この言葉を背中を推す力に変えて、軽やかに一歩を踏み出してみてはいかがでしょうか。






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