私たちの誰もがいつかは迎える「死」。
それは時として、人生の儚さや、今を生きることの大切さを教えてくれます。
古くから伝わる言葉の中には、死をテーマにしたものや、死を通して人生の真理を突いたものが数多く存在します。
ここでは、そうした「死」にまつわることわざ、慣用句、故事成語、四字熟語をご紹介します。
死にまつわる「ことわざ」
- 死人に口なし(しびにんにくちなし):
死者は何も語ることができないため、真実は当事者しか知り得ないことのたとえ。また、死者について悪く言うべきではないという戒め。 - 死んで花実が咲くものか(しんではなみがさくものか):
死んでしまっては何も得るものはない、生きているからこそ可能性があるのだということ。 - 命あっての物種(いのちあってのものだね):
何事も命があってこそできるのであり、命が一番大切だということ。 - 死なぬものなら金百両(しなぬものならかねひゃくりょう):
命はお金には代えられないほど尊いものであるということ。「命あっての物種」に近い意味。 - 死ぬ死ぬと言う者に死んだ例なし(しぬしぬというものにしんだためしなし):
口先だけで死ぬなどと言う者に限って、本気で死ぬ気がないことが多いということ。 - 死ぬほど楽はない(しぬほどらくはない):
生きている間の苦労に比べれば、死ぬことはむしろ楽であるという考え方。
または、大変な苦労をした後は、格別に楽に感じられるということ。 - 死ねば棺、生くれ(いぐれ)ば生き:
死んだら棺桶に入るだけ、生きている間は生きていくまでだという、人生に対する諦観や開き直りの気持ちを表す言葉。 - 死ねば死に損、生くれば生き得(しねばしにぞん いくればいきどく):
死んでしまっては損をするばかりだが、生きているからこそ得られるものがあるということ。
生きることの価値を説く言葉。 - 死なぬ子、二度人情を行う(しなぬこ ふたたびにんじょうをおこなう):
死なずに済んだ子供には、再び情けをかける機会が巡ってくるものだということ。助かった命を大切にすべきという教え。 - 死児の齢を数える(しじのよわいをかぞえる):
済んでしまったことや、取り返しのつかないことをいつまでも悔やみ続けることのたとえ。
「死んだ子の年を数える」とも言う。 - 幽明境を異にする(ゆうめいさかいをことにする):
生きている者と死んだ者のいる世界が違うこと。死別を表す婉曲的な表現。
死にまつわる「慣用句」
- 鬼籍に入る(きせきにいる):
死ぬこと。閻魔大王が持つとされる、死者の名前を記した帳面「鬼籍」に名が載ることから。 - 泉下に赴く/客となる(せんかにおもむく/きゃくとなる):
死ぬこと。「泉下」は黄泉(よみ)、つまり死後の世界を指す言葉。 - 土に還る(つちにかえる):
死ぬこと。人の体は土から生まれ、死後は土に還るという考え方から。 - 息を引き取る(いきをひきとる):
死ぬ、臨終を迎えること。 - 不帰の客となる(ふきのきゃくとなる):
死ぬこと。一度行ったら二度と帰ってこない旅人(客)にたとえた表現。 - 冥土の土産(めいどのみやげ):
死後の世界(冥土)へ持っていく土産。死ぬ間際の良い経験や、死んでも心残りがないと思えるような満足感を指す。 - 死線をさまよう(しせんをさまよう):
生死の境をさまよう、命が危うい状態にあること。 - 死に水を取る(しにみずをとる):
人の臨終の際に、末期の水を口に含ませること。転じて、人の最期を看取ること。 - 死に装束(しにしょうぞく):
死者に着せる衣装のこと。経帷子(きょうかたびら)など。 - 死に花を咲かせる(しにばなをさかせる):
死ぬ間際に、これまでの人生を締めくくるような立派な手柄や功績をあげること。 - 死に掛けの念仏(しにかけのねんぶつ):
死にそうになってから、慌てて神仏に助けを求めること。普段の心がけが大切だという戒め。 - 死に馬に鞭打つ(しにうまにむちうつ):
死んだ馬に鞭を打っても無意味であることから、すでに終わったことに対して、あれこれ言ったり、力を加えたりすることのたとえ。「死人に鞭打つ」とも言う。 - 死人に鞭打つ(しびとにむちうつ):
死んだ人の名誉をさらに傷つけるような行為をすること。
「死に馬に鞭打つ」とはやや意味合いが異なる場合がある。 - 死に神に憑かれる(しにがみにつかれる):
いかにも死にそうな顔つきをしていること。また、不運が続くこと。「死のう病に取り憑かれる」とも。 - 死に筋に入る(しにすじにいる):
滅亡や敗北が避けられないような、非常に不利な状況に陥ること。 - 死んだふり(しんだふり):
死んだように見せかけること。また、何も気づかないふり、関心がないふりをすること。 - 死に急ぐ(しにいそぐ):
まるで死を早めようとするかのように、無謀な行動をとること。 - 死んでも死にきれない(しんでもしにきれない):
非常に心残りがあり、死んでも安らかに眠れないほど無念であること。 - 死なばもろとも(しなばもろとも):
死ぬときには一緒だ、運命を共にするという覚悟を示す言葉。 - 生き死にに関わる(いきしににかかわる):
命に関わるような、非常に重大な事柄であること。 - 死人に妄言(しびとにもうげん/もうごん):
死んだ人について、根も葉もない悪口や嘘を言うこと。 - 死して屍拾う者なし(ししてしかばねひろうものなし):
死んでも誰も弔ってくれないような、孤独で悲惨な状況になることのたとえ。
死にまつわる「故事成語」
- 死馬の骨を買う(しばのほねをかう):
今は役に立たないものでも、それを優遇することで、優れた人材や価値あるものが自然と集まってくるようになるというたとえ。燕の昭王の故事に基づく。「死馬の骨を五百金に買う」とも。 - 死せる孔明生ける仲達を走らす(しせるこうめいいけるちゅうたつをはしらす):
死んだ後までもその威光が残り、生きている者を恐れさせるほどの力があることのたとえ。
死にまつわる「四字熟語」
- 生者必滅(しょうじゃひつめつ):
命あるものは必ずいつか死ぬという、この世の定め。仏教の無常観に基づく言葉。(ことわざとしても扱われる) - 会者定離(えしゃじょうり):
会う者は必ず別れる運命にあるということ。死別も含意する仏教語。 - 諸行無常(しょぎょうむじょう):
この世のすべてのものは常に変化し続け、永遠不変なものはないということ。死もその変化の一つ。 - 生死流転(しょうじるてん):
生きることと死ぬことを繰り返し、迷いの世界をさまよい続けること。仏教語。 - 起死回生(きしかいせい):
死にかかったものを生き返らせること。転じて、絶望的な状況から一気に勢いを盛り返すこと。 - 九死一生(きゅうしいっしょう):
ほとんど助かる見込みのない、非常に危険な状態からかろうじて命が助かること。
「万死一生(ばんしいっしょう)」もほぼ同義。 - 酔生夢死(すいせいむし):
何も価値あることをせず、ただぼんやりと一生を終えること。まるで酔っ払いか夢を見ているかのように、死んだも同然の生き方をすることへの戒め。 - 生死存亡(せいしそんぼう):
生きるか死ぬか、存続するか滅亡するかの重大な瀬戸際。 - 生死不明(せいしふめい):
生きているのか死んでいるのか分からない状態。 - 生殺与奪(せいさつよだつ):
生かすも殺すも、与えるも奪うも思いのままにできること。絶対的な権力を持つことのたとえ。
まとめ – 「死」から見える生の意味
「死」にまつわる言葉は、ただ命の終わりを示すだけではありません。
それらはむしろ、生の儚さや有限性を静かに語りながら、「今をどう生きるか」という根源的な問いを私たちに投げかけてきます。
「生者必滅」や「死ねば棺」は、誰しも逃れられない定めを示す一方で、そこにこそ潔さや受け入れる強さがあることを教えてくれます。
また、「命あっての物種」や「死なぬものなら金百両」といった言葉は、当たり前のようにある“生きている”ということが、どれほど価値のあることかを気づかせてくれます。
さらに、「死に花を咲かせる」「起死回生」といった言葉に表れるように、人は死の縁、あるいは絶体絶命の場面でこそ、驚くべき力や可能性を見せることもあります。
こうした言葉に触れることで、私たちは死を遠ざけるのではなく、生と一続きのものとして受け止め、どう生きるかのヒントを見出すことができるのかもしれません。
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