慣用句 故事成語

内助の功


(ないじょのこう)

家庭において、妻が夫を陰ながら支え、その活躍や出世に貢献する功績。


7文字の言葉」から始まる言葉
内助の功 個別解説
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意味

「内助」とは「内部(家庭内)からの助け」を意味し、「功」は「手柄・功績」を指します。
単に家事や育児をこなすだけでなく、精神的な支えになったり、夫が仕事に専念できる環境を整えたりすることで、結果として夫に社会的成功をもたらすような働きを指して使われます。

  • 内助(ないじょ):外部からは見えにくい、内部(家)からの援助。
  • (こう):すぐれた働き。成果。

語源・由来

「内助の功」の代名詞として知られる有名なエピソードがあります。
戦国武将・山内一豊(やまうちかずとよ)の妻の逸話として、江戸時代から語り継がれてきたものです。

「名馬と黄金」の逸話

戦国時代、まだ身分が低かった山内一豊は、主君である織田信長が開く「馬揃え(軍事パレード)」に参加することになりました。
しかし、一豊は貧しく、パレードに乗っていく立派な馬を買うお金がありません。

夫が嘆いているのを見た妻(見性院/千代とも呼ばれる)は、「いざという時のために」と鏡箱の底に隠し持っていた「黄金十両」(現在の価値で数百万円とも)を差し出しました。
「これで名馬をお買い求めください」と渡された夫は、その金で素晴らしい駿馬を購入。
馬揃え当日、その馬が信長の目に留まり、「貧しい中でこれほどの馬を用意するとは見上げた心がけだ」と大いに褒められ、出世の足がかりをつかんだと言われています。

この「夫のピンチを妻の機転と献身で救い、出世させた」という物語が、後世において「内助の功」の典型例として語り継がれるようになりました。

使い方・例文

ビジネスシーンや結婚式、日常会話において、成功者のパートナー(主に妻)を褒める際によく使われます。

現代では、共働き世帯の増加やジェンダー観の変化に伴い、「妻が夫を支える」という固定的な意味だけでなく、「パートナーを陰ながら支えるファインプレー」という広い意味で解釈されることも増えています。

例文

  • 彼がこれほどの成功を収めたのは、奥様の内助の功があってこそでしょう。
  • 社長は「今の会社があるのは創業時に苦労をかけた妻の内助の功だ」と語る。
  • 夫が安心して仕事に打ち込めるよう環境を整えるのも、一つの内助の功と言える。

誤用・注意点

目上の人への使用はOK

他人の配偶者を褒める言葉として、目上の人に対して使うことは失礼にはあたりません。
「素晴らしい奥様ですね」という意味で好意的に受け取られます。

自分の妻への使用

夫が自分の妻に対して「妻の内助の功のおかげです」と感謝を述べるのは問題ありません。
ただし、妻自身が「私は内助の功を発揮しています」と言うのは、自画自賛になるため避けるべきです。

類義語・関連語

「内助の功」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。

  • 縁の下の力持ち(えんのしたのちからもち):
    人の目につかないところで、他人のために努力や苦労をすること。
    家庭に限らず広く使われます。
  • 鶏鳴の助(けいめいのたすけ):
    中国の『詩経』に由来する言葉。
    妻が朝早く起きて鶏の鳴き声を真似て夫を起こし、出仕させたという故事から、妻が夫の立身出世を助けることを指します。
  • 糟糠の妻(そうこうのつま):
    貧しい時代から苦労を共にしてきた妻のこと。
    「内助の功」を発揮して夫を支えてきた妻、という文脈でよく使われます。

対義語

明確な対義語はありませんが、反対の状況を表す言葉として以下が挙げられます。

  • 足を引っ張る(あしをひっぱる):
    他人の成功や前進を妨げること。家庭内の不和が仕事の邪魔をする場合などに使われます。
  • 悪妻は百年の不作(あくさいはひゃくねんのふさく):
    悪い妻を持つと一生苦労するという意味のことわざ。

英語表現

「内助の功」のニュアンスを完璧に伝える、有名な英語の格言があります。

Behind every great man there’s a great woman.

  • 意味:「偉大な男の陰には、常に偉大な女がいる」
  • 解説:成功した男性の背後には、それを支えた賢い女性(妻や母)の存在があるという意味。
    まさに欧米版「内助の功」と言える定型句です。
  • 例文:
    As the saying goes, “Behind every great man there’s a great woman.
    内助の功と言うように、偉大な男性の陰には偉大な女性がいるものだ。)

この逸話の出どころ

山内一豊の妻の話が広く知られるようになったのは、新井白石の『藩翰譜』に載ったことによります。
江戸時代の中ごろにはすでに有名な逸話になっていました。

ただし、山内家に伝わる資料のなかにこの出来事の記録はなく、事実として裏づけられてはいません。
同時代の史料ではなく、後の世に語り継がれた話として読むのが正確です。

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