こたつでみかんを食べながらテレビを眺め、気がつけば一歩も動かずに日が暮れている。
そんな、ただお腹を満たして漫然と過ごす一日を、
「飽食終日」(ほうしょくしゅうじつ)と言います。
意味・教訓
「飽食終日」とは、一日中お腹いっぱい食べて、全く頭も体も使わずに怠けて過ごすことを指します。
- 飽食(ほうしょく):飽きるほど十分に食べること。
- 終日(しゅうじつ):朝から晩まで。一日中。
単に「食べ過ぎる」ことではなく、知的な活動や生産的な仕事を一切行わない「怠惰な状態」を戒める意味が含まれています。
語源・由来
「飽食終日」の由来は、儒教の開祖である孔子の言行録『論語』にあります。
陽貨(ようか)編において、孔子は「一日中お腹を空かせずにいながら、少しも心(頭)を使わずにぼんやり過ごしているようでは、どうしようもない」と厳しく語りました。
もともとは「飽食終日、心を所にする無し」という一節で、向上心を持たずに時間を浪費する人を批判する文脈で使われた言葉です。
現代語では、孔子の厳しい叱責としてのニュアンスだけでなく、自嘲気味に「だらだらと過ごしてしまった」と述べる際にも用いられます。
使い方・例文
「飽食終日」は、連休中の自堕落な生活や、隠居後の何もしない暮らしを表現する際に使われます。
例文
- 休暇のたびに、飽食終日の生活を繰り返している。
- 飽食終日を決め込む弟の姿には、母も呆れている。
- 退職後は、田舎の静かな家で飽食終日を送りたい。
- 飽食終日、何も生み出さない時間の贅沢さを噛みしめる。
文学作品・メディアでの使用例
夏目漱石『吾輩は猫である』
苦沙弥(くしゃみ)先生の家を訪れた寒月(かんげつ)が、先生の怠惰な様子を見て『論語』の言葉を引用するシーンがあります。
「飽食終日無所用心難矣哉(ほうしょくしゅうじつむしょようじんかたきかな)と云う奴だね」
誤用・注意点
「飽食」という言葉に引きずられて、「一日中ずっと食べ続けている」という意味で使うのは誤りです。
あくまで「十分に食べた後に、何もせずだらけていること」を指します。また、もともとは孔子が弟子や世人を叱った言葉であるため、目上の人の生活を表現する際に使うと失礼にあたるため控えましょう。
類義語・関連語
「飽食終日」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。
対義語
「飽食終日」とは対照的な意味を持つ言葉は以下の通りです。
英語表現
「飽食終日」を英語で表現する場合、以下の定型表現がニュアンスをよく伝えます。
To eat the bread of idleness
「怠惰のパンを食べる」という聖書(箴言)由来のフレーズで、働かずに怠けて過ごすことを意味します。
- 例文:
He spent the whole summer eating the bread of idleness.
彼は夏中、飽食終日の日々を過ごした。
まとめ
「飽食終日」は、本来は「心を使わぬ者」への厳しい警告でした。
しかし、休む間もなく働くことが多い現代人にとって、あえて一日をこの言葉のように過ごすことは、ある種の贅沢とも言えるでしょう。
忙しさに追われる日常の中で、たまには「何もしない」ということも大切な時間かもしれませんね。


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