「悪いお金が良いお金を追い出してしまう」――「悪貨は良貨を駆逐(くちく)する」ということわざ(経済学の法則としても知られます)は、一見すると少し不思議に聞こえるかもしれません。
価値の高い「良貨」の方が、価値の低い「悪貨」よりも大切にされそうなものですが、なぜ逆の現象が起こるのでしょうか?
この言葉は、元々は貨幣の流通に関する法則ですが、私たちの周りの様々な社会現象にも当てはまる、興味深い洞察を含んでいます。
今回は、「悪貨は良貨を駆逐する」の意味や由来、そして現代における使われ方について見ていきましょう。
「悪貨は良貨を駆逐する」の意味・教訓
「悪貨は良貨を駆逐する」とは、額面上の価値が同じでも、素材としての実質的な価値が異なる二種類の貨幣(お金)が同時に市場で流通すると、人々は価値の高い良貨を手元に保管したり、溶かして地金にしたり、国外で使ったりするため、良貨は市場から姿を消し、価値の低い悪貨だけが流通するようになる、という経済の法則を指します。
これは、提唱者の名前をとって「グレシャムの法則」とも呼ばれます。
そして、この法則は経済現象だけでなく、比喩的に「質の悪いものや、能力・人格の劣る人が、質の良いものや、能力・人格の優れた人を排除したり、その活躍の場を奪ったりしてしまう」という様々な社会現象を表す言葉としても広く使われています。
「悪貨は良貨を駆逐する」の語源 – グレシャムの法則
この法則が「グレシャムの法則」と呼ばれるのは、16世紀のイギリスの財政家であり、商人でもあったサー・トーマス・グレシャムが、当時の女王エリザベス1世に対し、質の悪い貨幣(悪貨)の流通が、質の良い貨幣(良貨)を市場から駆逐している状況を指摘したことに由来するとされています。
例えば、同じ「1ポンド」の額面を持つ金貨でも、金の含有量が少ない(実質価値が低い)「悪貨」と、金の含有量が多い(実質価値が高い)「良貨」があったとします。
人々は、買い物など支払いの際には価値の低い悪貨を使い、価値の高い良貨は貯め込んだり、溶かして金の素材として利用したりしようとします。
その結果、市場には悪貨ばかりが出回ることになるのです。
ただし、同様の現象はグレシャムよりもずっと以前から認識されており、古代ギリシャの劇作家アリストパネスの作品にも、類似の記述が見られると言われています。
「悪貨は良貨を駆逐する」が使われる場面と例文
この言葉は、元々の経済法則の説明のほか、様々な社会現象を説明する比喩として用いられます。
- 経済現象として:歴史的な貨幣改鋳(かいちゅう)の影響、質の悪い商品やサービスが市場に蔓延(まんえん)する理由、インフレーション下での貨幣価値の変化などの説明。
- 比喩として:
- 質の低い情報や噂が、正確で質の高い情報よりも広まってしまう(情報の質)。
- 成果よりも社内政治がうまい人が出世し、優秀な人が辞めていく(組織の人材)。
- 安価だが粗悪な製品が、高品質だが高価な製品を市場から追い出す(市場競争)。
- ポピュリズム(大衆迎合主義)的な政策が、長期的な視点に立った政策よりも支持を集めてしまう(政治)。
例文
- インターネット上では、しばしば悪貨は良貨を駆逐する現象が見られ、不確かな情報が正しい情報よりも拡散しやすいことがある。
- あの会社では、真面目に働く人より要領の良い人ばかりが評価されるため、悪貨は良貨を駆逐すると言われ、優秀な人材が流出してしまった。
- デフレ下では質の悪い安価な商品ばかりが出回り、悪貨は良貨を駆逐する状況になりやすい。
「悪貨は良貨を駆逐する」の類義語・関連語
「悪貨は良貨を駆逐する」現象や、関連する概念を示す言葉です。
- グレシャムの法則:
この法則の固有名称。 - レモン市場(The Market for Lemons):
情報の非対称性(売り手は商品の質を知っているが、買い手は知らない)により、質の悪い中古車(隠語でレモン)だけが市場に出回ってしまうという経済理論。
質の悪いものが良いものを駆逐する例。 - 逆選抜:
本来選ばれるべき優れたものではなく、劣ったものが選ばれてしまう現象。組織の人事などで見られる。 - 情報の非対称性:
取引において、一方の当事者が他方よりも多くの、あるいは質の高い情報を持っている状態。グレシャムの法則やレモン市場が起こる原因の一つ。 - 市場の失敗:
市場メカニズムがうまく機能せず、資源の効率的な配分が達成されない状態。
「悪貨は良貨を駆逐する」の対義語
「悪貨は良貨を駆逐する」とは反対に、良いものが残ったり、評価されたりする状況や理想を示す言葉です。(直接的な対義語ではありません)
- 良薬は口に苦し:良い忠告や薬は、受け入れがたいが、自分のためになるというたとえ。短期的には受け入れられなくても、本質的な価値はやがて認められる可能性を示唆。
- 正直者が馬鹿を見ない:正直であることが最終的には報われるべきだ、という社会的な理想や願望。
- 淘汰(とうた):(自然淘汰のように)環境に適したものが生き残り、そうでないものが滅びること。良いものが残るという側面を持つ。
- 逆グレシャムの法則(Thiers’ Law):特定の条件下(極端なインフレで貨幣価値への信頼が失われた場合など)では、人々は価値の安定した良貨を求め、悪貨の受け取りを拒否するため、逆に良貨が悪貨を駆逐するという現象。
「悪貨は良貨を駆逐する」の英語での類似表現
英語では、この法則自体を指す表現と、比喩的な意味合いに近い表現があります。
- Bad money drives out good (money).
- 意味:「悪貨は良貨を駆逐する」。グレシャムの法則をそのまま英語にした定型表現です。
- Gresham’s Law.
- 意味:「グレシャムの法則」。法則の名称として使われます。
- The bad apples spoil the bunch.
- 意味:「悪いリンゴが(樽の)房全体をダメにする」。一部の悪いものが、集団全体に悪影響を及ぼし、全体の質を下げてしまうという比喩。
まとめ – 価値を見極める目と良いものを守る仕組み
「悪貨は良貨を駆逐する」というグレシャムの法則は、経済の世界だけでなく、情報、組織、文化といった、私たちの周りの様々な場面で起こりうる現象を示唆しています。
なぜ質の低いものが、質の高いものを淘汰してしまうことがあるのか。そのメカニズムを知ることは、物事の本質的な価値を見極める目を養う上で役立ちます。
そして同時に、この法則は、質の高いものや誠実な努力が正当に評価され、守られるような仕組みや環境を作ることの重要性も教えてくれていると言えるでしょう。悪貨に惑わされず、良貨が輝き続けられる社会を目指したいものですね。
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