意味
「慙愧に堪えない(ざんきにたえない)」とは、自らの言動を深く恥じ入り、情けなさで胸がいっぱいになることです。
単なる恥ずかしさより重く、自分の内面に向けた強い後悔や自責の感情を表す、あらたまった言葉です。
- 慙(ざん):自分の良心に対して恥じること。
- 愧(き):他人や社会に対して恥じること。
- 堪えない(たえない):抑えきれないこと。
語源・由来
「慙愧に堪えない」は、仏教の教えに由来する言葉です。
仏教では、悪い行いをしないための心の働きとして「慙」と「愧」という二つの徳が説かれてきました。
「慙」は自分自身の良心に照らして過ちを恥じる心を、「愧」は他人や社会の目を意識して過ちを恥じる心を指すとされ、この二つが合わさった「慙愧」は、内にも外にも恥じ入る深い反省の気持ちを表す言葉として使われるようになりました。
使い方・例文
「慙愧に堪えない」は、自分の過ちを深く反省し、公の場で謝罪する際などに使われます。
身内や部下、所属する組織の不祥事について、責任ある立場の人が謝罪するときにもよく使われます。
この場合に恥じているのは、指導や監督が行き届かなかった自分自身です。
- 確認を怠ったことは、慙愧に堪えない思いです。
- 期待を裏切る結果となり、慙愧に堪えない限りです。
- 所属選手の不祥事を防げなかったことは、監督として慙愧に堪えません。
類義語・関連語
「慙愧に堪えない」と同じように、深い反省の気持ちを表す言葉には、以下のようなものがあります。
- 忸怩たる思い(じくじたるおもい):
自分の言動を深く反省し、内心恥じ入る気持ち。
英語表現
filled with remorse
直訳「後悔で満たされた」で、自分の過ちを深く悔いる気持ちを表す表現。
He was filled with remorse for not speaking up sooner.
(もっと早く声を上げなかったことに、慙愧に堪えなかった。)
『涅槃経』の慙愧は罪を消す心
『涅槃経』には、父王を殺した阿闍世王に「慙愧」が説かれる場面があります。
王は罪を悔いて苦しみ、体じゅうにできものができるほどでした。
王に仕える名医の耆婆は、王が悔いて恥じていることをほめ、仏の言葉として「衆生を救う清らかな法が二つある、一つは慙、二つは愧」と説きました。
耆婆はさらに「無慚愧者不名為人、名為畜生」と続けます。
慙愧の無い者は人とは呼ばず、畜生と呼ぶ、という意味です。
そのうえで、罪を悔いて慙愧の心を持てば罪は消える、と王に告げました。
『涅槃経』のこの場面で、「慙愧」は罪を犯した者を責める言葉ではなく、悔いる者を救う心として説かれています。
「慙愧に堪えない」と口にするのは、その心を自分が抱いていると人前で認めることにあたります。












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