時代で変わる不適切なことわざ・慣用句一覧と大人の言い換え表現

時代で変わる不適切なことわざ・慣用句一覧と大人の言い換え表現 特集
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かつては日常的に使われていたことわざや慣用句の中にも、現代の価値観に照らし合わせると、無意識に誰かを傷つけたり差別を助長したりする表現が存在します。

社会における人権意識の変化とともに、言葉の使用基準も変化しており、ビジネスや公の場では言い換えが求められるケースが増えています。
注意が必要な表現を、言い換えとともに一覧でまとめました。

身体・障がいにまつわる表現

身体的な特徴や障がいを、ネガティブな意味の比喩として使うことは、現代では最も避けるべき表現とされています。

  • めくら蛇に怖じず(めくらへびにおじず):
    無知だからこそ危険を恐れず向かっていく様子のたとえだが、視覚障がいへの差別語を含む。
    今は「怖いもの知らず」「向こう見ず」等と表現するのが適切。
  • めくら判(めくらばん):
    中身を確認せず印鑑を押すことのたとえだが、「めくら」は視覚障がいへの差別語で、放送や新聞では使わない語とされている。
    ビジネスでは「確認せずに押印する」と言い換える。
  • 片手落ち(かたておち):
    一方への配慮が欠けていることのたとえ。
    本来は「片方が抜け落ちる」意で差別語ではないが、身体的欠損を連想させるため、「配慮に欠ける」「不公平」等に言い換えるのが無難。
  • つんぼ桟敷(つんぼさじき):
    当事者なのに事情を知らされない状況のたとえ。
    江戸の芝居小屋で台詞が聞こえにくい最後方の席に由来するが、聴覚障がいへの差別語を含み、「蚊帳の外」と言い換えるのが適切。
  • 気違い沙汰(きちがいざた):
    常識では考えられない振る舞いを指す言葉だが、精神障がいへの侮蔑的な響きが強く、放送での使用自粛が広がった経緯を持つ。
    「常識外れ」等に言い換える。
  • びっこを引く(びっこをひく):
    片方の足を引きずって歩く様子を表す言葉だが、足の不自由さを指す差別語とされ、新聞・放送の用語集でも使用を避ける語として扱われている。
    物の不揃いは「ちぐはぐ」等と表す。
  • 唖(おし):
    言葉を発せない人や状態を指す古い言葉だが、現代では明確な差別語として使用が厳禁とされる。
    今は「聴覚・言語障がい者」等、具体的な状態を表す言葉で表記する。
  • 青瓢箪(あおびょうたん):
    やせて顔色の青白い人を、熟していない青いひょうたんにたとえてあざける言葉。
    体つきや顔色という本人に変えようのないことを笑いの種にするため、人に向けて使えば侮辱になる。
  • 三白眼(さんぱくがん):
    黒目が上に寄り、左右と下の三方に白目が見える目のこと。
    人相学で凶相とされてきたため、人柄の悪さをにおわせる描写に使われやすい。
    生まれつきの目の形で性格を決めつけることになるので、人物の評価として使うことは避ける。
  • 群盲象を評す(ぐんもうぞうをひょうす):
    凡人には大人物や大事業の一部分しか理解できないというたとえ。
    目の見えない人を「物事の一部しか分からない者」のたとえに使う形になっている。
    「木を見て森を見ず」「視野が狭い」と言い換えるのが無難。

ジェンダー・性別に関する表現

特定の性別に対する固定観念や、相手を低く見るような表現は、ジェンダー平等の観点から見直されています。

  • 女の浅知恵(おんなのあさぢえ):
    女性の考えは浅はかだと決めつけてあざける言葉。
    男性中心だった時代の男尊女卑の風潮が背景にあり、性別を問わない「浅はかな考え」等に言い換えるのが現代的。
  • 行き遅れ(いきおくれ):
    婚期を過ぎても独身でいる女性を指す言葉。
    結婚を女性の当然の到達点とみなす古い価値観の押し付けであり、「独身」「未婚」と表す。
  • 男の目には糸を引け、女の目には鈴を張れ(おとこのめにはいとをひけおんなのめにはすずをはれ):
    男は切れ長の目、女は丸く大きい目が美しいとする古い美意識のことわざ。
    性別ごとに理想の容姿を型にはめる押し付けであり、今は「凛々しい目元」等と個性を尊重する。
  • 朝雨は女の腕まくり(あさあめはおんなのうでまくり):
    朝の雨はすぐやむので恐れるに足りないという言い伝え。
    女性が示す怒りや意気込みを見せかけに過ぎないと決めつける見立てが土台にある。
    由来や昔の暮らしを語る文脈での使用まで妨げるものではない。
  • 女心と秋の空(おんなごころとあきのそら):
    女性の気持ちは秋空のように変わりやすいと一般化する言葉。
    恋愛の機微を語る場面では今も使われるが、「女性は感情的」という固定観念を助長する面もある。
  • 阿多福(おたふく):
    丸顔で鼻の低い女性の顔を、醜いとしてあざける言葉。
    「阿多福面」の略。
    本人には変えようのない顔立ちを笑いの種にする言葉で、自分の妻をへりくだって呼ぶ使い方も妻の容姿をおとしめることに変わりはない。
    面の呼び名や古い作品を説明するときに触れるにとどめる。
  • 不見転(みずてん):
    後先を考えずに事を行うという意味のほか、芸妓などを金しだいで誰にでも身をまかせる女と呼ぶ意味がある。
    女性を性的なふるまいで値踏みして見下す呼び名。
    人、特に女性について「不見転だ」と言うとこちらの意味に受け取られるおそれがあるため、「不見転で契約する」のように行動について使う。
  • 夫唱婦随(ふしょうふずい):
    夫が言い出し、妻がそれに従うこと。
    夫婦の仲がむつまじいことにも言う。
    性別だけで決める側と従う側を分ける言い方で、他人の夫婦をほめるつもりでも妻の側には「夫に従っている」と受け取られることがある。
    仲のよさだけを言うなら「仲むつまじい」「息の合った夫婦」などと言い換える。
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身分・職業・属性に関する表現

かつての身分制度や特定の職業、国籍に対する偏見に基づく言葉も、現代の公の場では不適切とされます。

  • 士族の商法(しぞくのしょうほう):
    明治維新で職を失った元武士が、不慣れな商売に手を出して失敗する様子を指す言葉。
    特定の出自をあざ笑う響きを持つため、「素人商売」と表すのが無難。
  • 下衆の勘繰り(げすのかんぐり):
    心の卑しい者ほど何事も悪く疑いたがるという意味。
    「下衆」は元々身分の低さを指した言葉で、人格を侮蔑するニュアンスが強いため、「邪推」「うがった見方」とする。
  • 唐人の寝言(とうじんのねごと):
    筋の通らない話を、理解できない外国語の寝言にたとえた言葉。
    「唐人」は中国人や外国人全般を指し、その言葉を見下す表現にあたるため、「訳のわからない話」等を用いる。
  • 姨捨山(おばすてやま):
    役に立たなくなった年配者を追いやる例え。
    長野県の山に伝わる、老いた親を山に捨てたという棄老伝説に由来し、高齢者虐待を想起させる強い言葉のため、「厄介払い」等と表す。
  • 百姓読み(ひゃくしょうよみ):
    漢字の偏や旁から我流で読みを類推することを指す言葉。
    江戸時代の随筆にも見える言い方だが、農民を無知とみなす差別意識に基づくため、「我流の読み」「偏や旁からの類推読み」等と言い換える。
  • 土方(どかた):
    土木工事に携わる作業員を指した古い呼び名。
    肉体労働を見下す響きを伴って使われてきたため、「土木作業員」等の名称を使う。
  • 貧乏人の子沢山(びんぼうにんのこだくさん):
    暮らし向きの苦しい家ほど子どもが多いという意味。
    貧しさと子どもの数を結びつけて一般化する言い方で、実在の家庭に向ければ経済状態と子どもの数の両方に踏み込むため、「子どもの多い家庭」等と述べる。
  • 黄口児(こうこうじ):
    年が若く、思慮や経験の浅い者をあざけっていう言葉。
    「黄口」はひな鳥の黄色いくちばしのこと。
    年齢だけで相手の考えを軽く見る言い方になるため、人に向けては使わない。
  • 村夫子(そんぷうし):
    もとは村の学者、田舎の先生のこと。
    転じて、見識の狭い学者をあざけっていう。
    住む土地で学識を低く見る含みがあるため、人物評として使うことは避ける。
  • 無知文盲(むちもんもう):
    学問も知識もなく、文字の読み書きもできないこと。
    読み書きは学ぶ機会があって初めて身につくのに、その人の値打ちまで低く見る言い方になる。
    「文盲」は通信社の用字用語集でも「読み書きのできない人」「非識字者」と言い換えるものとされている。
  • 屠所の羊(としょのひつじ):
    屠殺場へ引かれていく羊のように、不幸を前に気力を失っている様子のたとえ。
    食肉処理の仕事は部落差別と深く関わってきた歴史があり、現在では比喩として使うと差別的な表現になるとされる。
    「打ちひしがれる」「肩を落とす」と言い換える。

なぜ普通の言葉が「使ってはいけない言葉」に変わるのか

昔はごく普通に使われていた職業の名前や状態を表す言葉が、時代が進むにつれて避けられるようになることがあります。

これは、言葉そのものに最初から悪意があったからではありません。
その言葉を使う人々が、特定の立場の人に対して偏見や見下す意識を込めて使い続けた結果、言葉自体に否定的なイメージが定着してしまったためです。

もとは中立的な事実を指していた言葉が、使われ方によって徐々に否定的な意味を帯びていく現象は、日本語に限らず世界中の言語で見られます。

時代に合わせて言い換え表現が次々に生まれるのは、窮屈な言葉狩りではありません。
元の意味では使いにくくなった言葉を、誰も不快にならない言葉に置き換えていく、自然な更新の一つです。

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