「河童の川流れ」(かっぱのかわながれ)のように、現実には存在しないはずの架空の生き物が、私たちの会話の中に生き生きと息づいています。
河童、天狗、麒麟……。
古くから伝説や物語の中で描かれてきた彼らは、時に恐ろしい怪物として、時に神聖な使いとして、人々の想像力をかき立ててきました。
その強烈な個性は、人間の性質や世の中の道理を説く「ことわざ」や「四字熟語」として、現代にも数多く残されています。
そんな架空・伝説上の生物にまつわる有名な言葉を、生物ごとに整理してご紹介します。
※「龍」や「鬼」も架空の生物ですが、ページ最下部にて別記事で詳しく解説しています。
河童(かっぱ)のことば

河童とは、日本の川や沼に住むとされる妖怪、あるいは水神の一種です。
頭には水が入った皿があり、背中には甲羅、手足には水かきを持つ姿で描かれます。
泳ぎが得意で、相撲やキュウリを好むという愛嬌のある一面も持ち合わせています。
河童の川流れ(かっぱのかわながれ)
泳ぎの名人である河童でさえ、時には水に流されてしまうこと。
どんな達人や名人でも、時には失敗することがあるというたとえです。
「猿も木から落ちる」「弘法にも筆の誤り」と同じ意味で使われます。
陸に上がった河童(おかにあがったかっぱ)
水中では無敵の河童も、陸の上では力が弱まってしまうことから、自分に合った環境を離れ、全く実力を発揮できなくなる様子のこと。
哀れな状況や、無力な様子を表す際によく使われます。
河童に水練(かっぱにすいれん)
泳ぎが得意な河童に泳ぎ方を教えるような行為。
自分よりはるかに詳しい人に教えようとする愚かさや、無駄な行為のたとえ。
「釈迦に説法」と同義です。
屁の河童(へのかっぱ)
物事が非常に簡単で、取るに足りないこと。
「そんなことは屁の河童だ」のように使います。
「河童の屁」とも言い、水中でする屁は勢いがないことから出た言葉とされます。
天狗(てんぐ)のことば

天狗は、日本の山奥に住むとされる伝説上の怪物です。
赤ら顔に高い鼻、山伏の姿をして背中に翼を持ち、空を自由に飛び回ると言われます。
強力な神通力を持つ一方で、その高い鼻は「慢心」や「高慢」の象徴とされています。
天狗になる(てんぐになる)
自分の能力を過信し、うぬぼれている状態。
人を見下したような態度をとること。
「彼は昇進してから天狗になっている」のように、批判的な意味を込めて使われます。
天狗の鼻を折る(てんぐのはなをおる)
得意になって威張っている相手をやり込め、その慢心をくじくこと。
単に「鼻を折る」「鼻をへし折る」とも言います。
天狗の飛び損ない(てんぐのとびそこない)
日ごろ得意になって自慢している者が、油断して失敗することのたとえ。
自由自在に空を飛ぶ天狗が、何かの拍子に飛び損なうことから言います。
失敗を言う点で「河童の川流れ」と似ています。
麒麟(きりん)・鳳凰(ほうおう)のことば


中国神話に由来する「聖なる獣」たちです。
これらは優れた人物や、平和な世の中の象徴として扱われます。
麒麟も老いては駑馬に劣る(きりんもおいてはどばにおとる)
どんな名馬も年をとると、足の遅い馬(駑馬)にも負けるようになるということ。
すぐれた人物も年老いると、働きや能力が普通の人にも及ばなくなるたとえです。
ここでの「麒麟」はもとは「騏驎」と書き、一日に千里を走るという名馬のことですが、聖獣の麒麟と同じように使われます。
『戦国策』に出てくる蘇秦のことばから出た言葉です。
麒麟児(きりんじ)
才能が優れ、将来が期待される少年のこと。
幼い頃から飛び抜けた才能を示す子供を指して使います。
「神童」に近い言葉です。
鳳鳴朝陽(ほうめいちょうよう)
鳳凰が山の東側(朝陽)で鳴くこと。
世の中が平和であることを示すめでたいしるし。
また、すぐれた能力のある人が、志を発揮する機会を得ることのたとえです。
『詩経』大雅の「巻阿」の詩句から出た言葉です。
伏龍鳳雛(ふくりょうほうすう)
世間に知られずにいる大人物と、将来有望な若者のたとえ。
「伏龍」は池の中に潜んでいる龍、「鳳雛」は鳳凰のひなを指します。
三国時代、司馬徽が諸葛亮を伏龍、龐統を鳳雛と評したことから出た言葉で、『三国志』の注に出てきます。
その他(天邪鬼・鵺・閻魔など)
天邪鬼(あまのじゃく)
わざと人の言動に逆らったり、本心とは裏腹な態度をとったりするひねくれ者のこと。
「瓜子姫」をはじめ、多くの昔話に悪者として登場します。
日本神話で天稚彦に雉を射殺させた女神、天探女から出た名とする説もあります。
鵺のような(ぬえのような)
鵺は、頭は猿、体は狸、手足は虎、尾は蛇という姿をした伝説の怪物です。
その姿から転じて、正体がはっきりせず、つかみどころのない人物や物事のたとえに使われます。
「鵺のような人だ」と言えば、何を考えているか分からず不気味だというニュアンスになります。
嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれる
(うそをつくとえんまさまにしたをぬかれる)
閻魔は、地獄で死者の罪を裁く大王。
嘘をついた者は、死後に地獄で閻魔大王にやっとこで舌を抜かれるという言い伝えから、嘘をついてはいけないという戒めとして使われます。
借りる時の地蔵顔、返す時の閻魔顔
(かりるときのじぞうがお、かえすときのえんまがお)
お金を借りる時は地蔵のように柔和で愛想が良いが、いざ返す段になると、閻魔大王のように恐ろしい顔をして渋ること。
人間のお金に対する身勝手さや、現金な態度を皮肉ったことわざです。
(※古くは「返す」を「済(な)す」と言いました)
まとめ
河童、天狗、麒麟といった架空の生物たちは、単なる空想の産物ではなく、人間界の複雑な感情や真理を、私たちに分かりやすく伝えるための「器」として機能してきました。
「慢心」を天狗で表し、「老いによる衰え」を麒麟で表す。
河童の泳ぎの得意さや天狗の高慢さなど、それぞれの生物が持つ特徴が、ことわざや四字熟語の意味に反映されています。










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