意味
「悪法もまた法なり」とは、内容がどれほど不当に思える法律であっても、正式に廃止されるまでは従うべきだという考え方です。個々の法律の中身の是非より、法の秩序そのものを守ることを優先する立場を表しており、実際には納得できない場面で使うと、皮肉や諦めの響きを伴うこともあります。
- 悪法(あくほう):国民のためにならない、内容に問題がある法律。
語源・由来
「悪法もまた法なり」は、古代ギリシャの哲学者ソクラテスの逸話とともに語られることが多い言葉です。裁判で死刑を言い渡されたソクラテスは、弟子のクリトンから脱獄を勧められましたが、たとえ判決に納得がいかなくても国の法に従うべきだとして、自ら毒杯をあおいで刑に服したと伝えられています。
ただし、ソクラテス自身がこの言葉をそのまま語ったという記録は残っておらず、後世の人々が彼の生き方を要約して広めた言い回しだという見方もあります。
使い方・例文
「悪法もまた法なり」は、納得のいかない規則であっても、正式に変えられるまでは守るべきだという場面で使われます。
- 校則に不満はあったが、悪法もまた法なりと従うことにした。
- 「悪法もまた法なり」と言いつつも、改正を求める署名を集めた。
- 理不尽な社則でも悪法もまた法なり、正式な手続きで変えるしかない。
国法に背いた王女
古代ギリシャの悲劇『アンティゴネー』には、王の命令に背いてでも兄の亡骸を葬った王女が描かれています。ソフォクレスが描いたこの物語で、主人公アンティゴネーは、人間が定めた法よりも神々に由来する不文の掟のほうが重いと主張し、処罰を覚悟のうえで兄を弔いました。同じ古代ギリシャの土壌から、法に従って毒杯をあおいだソクラテスの逸話と、法に背いてでも譲れない掟を貫いた王女の物語という、対照的な二つの態度が伝わっています。









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