思いがけない幸運に恵まれると、つい「次も同じようにいくだろう」と期待してしまうのが人の心理です。
しかし、一度偶然うまくいったからといって、二度目も同じように幸運が続くとは限りません。
そんな過去の成功体験に固執することの愚かさを、
「柳の下にいつも泥鰌はおらぬ」(やなぎのしたにいつもどじょうはおらぬ)と言います。
意味
「柳の下にいつも泥鰌はおらぬ」とは、一度偶然よいことがあったからといって、次も同じ場所や方法で幸運が得られるとは限らないという教訓です。
- 柳の下:かつて幸運を手にした特定の場所や条件。
- 泥鰌(どじょう):思いがけない利益や幸運。
偶然の産物を自分の実力や法則だと思い込み、同じことを繰り返そうとする安易な考えを戒める言葉です。
語源・由来
「柳の下にいつも泥鰌はおらぬ」の由来は、ある釣り人が偶然の幸運に味を占めたエピソードに基づいています。
川辺の柳の木の下で、たまたま泥鰌をたくさん捕まえた男がいました。
男は「ここに行けばいつでも泥鰌が手に入る」と信じ込み、毎日その場所へ通い詰めましたが、二度と泥鰌が捕れることはありませんでした。
この言葉は、中国の故事「守株(しゅしゅ)」と共通の思想を持っています。
切り株にぶつかって死んだウサギを偶然手に入れた農夫が、またウサギが来ると信じて畑仕事を放棄したという話が、日本では身近な「柳と泥鰌」に置き換わって定着しました。
なお、江戸いろはかるたの読み札として採用されたことで、一般庶民の間にも広く知れ渡ることとなりました。
使い方・例文
以前の成功体験に基づいた安易な予測や、二番煎じを狙う姿勢に対して、注意を促す文脈で使われます。
例文
- 投資で一度儲かったからといって、柳の下にいつも泥鰌はおらぬ。
- 前回と同じ企画で二匹目を狙っても、柳の下にいつも泥鰌はおらぬだ。
- ビギナーズラックは続かない。柳の下にいつも泥鰌はおらぬという。
類義語・関連語
「柳の下にいつも泥鰌はおらぬ」と似た意味を持つ言葉には、以下のものがあります。
- 株を守りて兎を待つ(かぶをまもりてうさぎをまつ):
偶然の幸運を忘れられず、古い習慣に固執して進歩がないこと。 - 二匹目の泥鰌を狙う(にひきめのどじょうをねらう):
一度うまくいったことを、同じ方法でもう一度手に入れようとすること。 - 昨日の淵は今日の瀬(きのうのふちはきょうのせ):
世の中は絶えず変化しており、とどまることがないという例え。
対義語
「柳の下にいつも泥鰌はおらぬ」とは対照的な意味を持つ言葉は、以下の通りです。
- 二度あることは三度ある(にどあることはさんどある):
物事は繰り返される傾向があるということ。 - 柳の下に泥鰌は二匹おる(やなぎのしたにどじょうはにひきおる):
一度あることは二度ある。幸運が重なることもあるという考え方。
英語表現
「柳の下にいつも泥鰌はおらぬ」を英語で表現する場合、以下の定型句が適しています。
Lightning never strikes twice in the same place
直訳:「雷は同じ場所に二度は落ちない」
「奇跡的な出来事や珍しい災難が、同じ条件で繰り返されることはない」という意味で使われます。
- 例文:
Lightning never strikes twice in the same place, so don’t expect another win.
雷は同じ場所に二度は落ちない。だから、また勝てるとは思わないことだ。
Good luck does not always repeat itself
意味:「幸運が常に繰り返されるわけではない」
ことわざの教訓を平易に伝える表現です。
柳の下のエピソード
ちなみに、この言葉には「柳の下はもともと泥鰌が集まりやすい場所である」という背景があります。
柳は水辺に自生し、その根は複雑に絡み合って水中に張り出します。
これは小魚や泥鰌にとって格好の隠れ家となり、また木陰は水温の上昇を抑えるため、実際に獲物が見つかりやすい「好条件の場所」なのです。
一度泥鰌が捕れたのは、あながち完全な偶然ではなかったのかもしれません。
それでも「いつもはいない」と戒められるのは、条件が良い場所であっても、自然界の状況や運は常に流動的であり、期待通りにはいかないという厳しい現実を教えているのです。
まとめ
「柳の下にいつも泥鰌はおらぬ」は、過去の栄光や偶然の幸運にすがることの危うさを鋭く突いた言葉です。
一度の成功は自信に繋がりますが、そこに安住して工夫を怠れば、変化する時代の流れに取り残されてしまいます。
「前回はこうだったから」という固定観念を捨て、その時々の状況に合わせて最適な場所や方法を探し続ける姿勢こそが、新しい幸運を呼び込む鍵になることでしょう。





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