意味
「洞ヶ峠(ほらがとうげ)」とは、形勢を見て、有利なほうにつこうとする態度という意味です。
もとは、京都府と大阪府の境にある峠の名前です。
語源・由来
この言葉は、天正10年(1582)の山崎の戦いにまつわる、筒井順慶の話から生まれました。
この戦いで明智光秀は順慶に加勢を求めましたが、順慶は兵を動かしませんでした。
のちに、順慶が洞ヶ峠から戦いを見守り、勝ちそうな側に付こうとしたと伝えられ、形勢をうかがう態度を「洞ヶ峠」と言うようになりました。
ただし、この伝えは事実と異なるとされています。
百科事典には、順慶は光秀の誘いに応じず、居城の郡山城で戦況を見守り、勝った豊臣秀吉の側についたと書くものがあります。
洞ヶ峠に出陣したという話は、後世に付け加えられた俗説だと説明する事典も複数あります。
勝敗の分かれ目を天王山と言うのに対して、洞ヶ峠は日和見を意味する語になった、と説明する百科事典があります。
使い方・例文
「洞ヶ峠を決め込む」の形で使います。
- 派閥争いが激しくなると、彼は洞ヶ峠を決め込み、勝ち負けが見えるまで動かなかった。
- 議論が割れた会議で、部長は洞ヶ峠を決め込んで発言を控えた。
- 選挙戦の終盤まで、あの議員は洞ヶ峠を決め込んでいた。
類義語
「日和見」が同じ意味で使えます。
- 日和見(ひよりみ):
形勢を見て、態度をはっきりさせないこと。
洞ヶ峠は東高野街道の要所だった
洞ヶ峠は、標高約70メートルの峠で、京都府八幡市と大阪府枚方市の境に位置します。
「南峠」とも呼ばれます。
京都側の山城国と大阪側の河内国を分ける位置にあり、東高野街道が通る交通の要所でした。
南北朝時代の1352年の八幡合戦をはじめ、たびたび陣が置かれ、戦いの場になりました。
北の淀川の対岸には、山崎と天王山が見えます。

コメント