友人の誘いを快く受けたい一方で、家族との先約も無碍にはできない。
どちらかを優先すれば、もう一方に申し訳ない気持ちになり、解決策が見つからず困り果てることがあります。
このように、一方を尊重しようとすれば他方の面目が保てなくなる状況を、「あちら立てればこちらが立たぬ」(あちらたてればこちらがたたぬ)と言います。
意味・教訓
「あちら立てればこちらが立たぬ」とは、一方を良くしようとすればもう一方が悪くなり、双方を同時に満足させることができない状態を指します。
どちらの選択をしても、選ばれなかった側に不都合や不満が生じてしまう、ジレンマに陥った状況のたとえです。
ここでの「立てる」とは、相手の面目や立場を尊重し、優遇することを意味します。
「立たぬ」は、面目が保てない、あるいは物事が成立しないということです。
単に二つのうち一つを選ぶのが難しいだけでなく、背景に人間関係のしがらみや、利害の対立が含まれる場面で使われるのが特徴です。
語源・由来
江戸時代の町人文化の中で、義理や人情、あるいは「顔を立てる」といった日本特有の対人関係の作法から生まれた言葉です。
ここでの「立つ」という表現は、単に物理的に立ち上がることではなく、世間に対する面目や名誉が保たれることを意味しています。
江戸時代の演劇である浄瑠璃や歌舞伎の物語では、二人の有力者の間や、恩義ある相手同士の板挟みで苦悩する登場人物がしばしば描かれました。
相手の立場を重んじるあまり、どちらの顔も潰せないという日本的な葛藤が、この表現を定着させる背景となりました。
特定の出典に頼るまでもなく、周囲との調和を何よりも優先してきた当時の庶民の知恵と苦労が、一つのことわざとして結実したと言えます。
使い方・例文
人間関係の調整や、相反する条件を同時に満たさなければならない場面で使われます。
論理的な選択というよりは、感情的な板挟みや「申し訳なさ」が伴う文脈でよく用いられます。
例文
- 兄を褒めれば妹がすね、妹を褒めれば兄が怒る。仲裁役は「あちら立てればこちらが立たぬ」で苦労する。
- 仲の良い二人から別々の遊びに誘われた。どちらを選んでも角が立つ。まさに「あちら立てればこちらが立たぬ」状況だ。
- 観光地を開発すれば経済は潤うが、自然環境が破壊される。「あちら立てればこちらが立たぬ」という難しい課題に直面している。
- 「コストを削れば品質が落ち、品質を上げれば予算を超える。あちら立てればこちらが立たぬ状態だ」と上司が嘆く。
類義語・関連語
「あちら立てればこちらが立たぬ」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。
- 痛し痒し(いたしかゆし):
かくと痛いし、かかないと痒い。どちらにしても具合が悪く、どうしていいか迷うこと。 - 帯に短し襷に長し(おびにみじかしたすきにながし):
中途半端で、どちらの役にも立たず、どっちつかずであること。 - 前門の虎、後門の狼(ぜんもんのとら、こうもんのおおかみ):
一つの災難を逃れても、また別の災難が襲ってくること。あるいは進退窮まる状況。 - 板挟み(いたばさみ):
対立する二つの勢力の間に入って、どちらの味方もできず、苦しい立場に置かれること。
対義語
「あちら立てればこちらが立たぬ」とは対照的な状況を示す言葉です。
英語表現
「あちら立てればこちらが立たぬ」のニュアンスに近い英語表現を紹介します。
It is hard to please everyone
- 意味:「全員を喜ばせるのは難しい」
- 解説:ビジネスや日常会話で、すべての人の期待に応えることの難しさを認める際に使われる定番のフレーズです。
- 例文:
The CEO wants to cut costs, but the staff wants higher pay. It is hard to please everyone.
(CEOはコスト削減を、スタッフは賃上げを求めている。あちら立てればこちらが立たぬだ。)
You can’t have your cake and eat it too
- 意味:「ケーキを食べるのと、持っておくことの両方はできない」
- 解説:二つの良いことは同時に成立しないという、トレードオフの状況を表します。
- 例文:
You want more free time and more money? You can’t have your cake and eat it too.
(もっと自由な時間が欲しくて、お金ももっと欲しい? それはあちら立てればこちらが立たぬというものだ。)
言葉に込められた日本的な配慮
現代ではこうした状況を「トレードオフ」という論理的な用語で片付けることも増えましたが、あえてこのことわざを使う時、そこには人としての苦悩が滲みます。
相手の顔を立てたい、誰も傷つけたくないという誠実さが、行き詰まりという形になって表れているのです。
単なる効率の問題ではなく、義理や人情、あるいは相手への敬意が絡み合っていることを伝えたい時には、このことわざが持つ響きが適していると言えるでしょう。
板挟みに悩むことは、それだけあなたが周囲の立場を大切に考えている証拠かもしれません。
まとめ
「あちら立てればこちらが立たぬ」は、双方の立場を重んじるがゆえに、どちらかを選べば一方が成り立たなくなる苦しい状況を言い当てた言葉です。
人生には、どれほど知恵を絞っても「正解」が見つからない、ままならない瞬間が訪れます。
そんな時は、「どちらも大切だからこそ悩んでいるのだ」と自身の誠実さを認め、無理に完璧を求めすぎないことも、一つの解決策と言えることでしょう。







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