瓜の蔓に茄子はならぬ

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ことわざ
瓜の蔓に茄子はならぬ
(うりのつるになすびはならぬ)
異形:種瓜に茄子はならぬ

13文字の言葉」から始まる言葉
瓜の蔓に茄子はならぬ 【個別】ことわざ・慣用句・四字熟語

「あの子、運動神経が抜群だけど、ご両親もスポーツ選手なの?」
「いえ、うちは夫婦そろって運動音痴で…。まさに鳶が鷹を生むですよ」

こんな会話を耳にすることがありますが、もしこれが逆だったらどうでしょうか。
「やっぱり親に似て勉強が苦手だね」と納得してしまうような場面。

瓜の蔓に茄子はならぬは、そんな「親子は似るものだ」「血筋は争えない」という現実を、夏野菜の生育になぞらえたことわざです。
少し諦めのニュアンスや、自虐・謙遜の意味で使われることが多い言葉です。

「瓜の蔓に茄子はならぬ」の意味

平凡な親から、非凡(優れた)な子は生まれないというたとえです。
また、ある原因からは、それ相応の結果しか生じないという意味でも使われます。

  • (うり):ここでは平凡な親、あるいは親そのものの象徴。
  • 茄子(なすび):ここでは親とは異なる優れた子供、あるいは変化球のような異質な結果の象徴。
  • (つる):つながり、血縁。

瓜の種を蒔いて育てた蔓には、当然ながら瓜の実しかなりません。
そこに全く種類の違う「茄子」がなることはあり得ないという、自然の摂理を説いています。

蛙の子は蛙」と同じく、良くも悪くも「子は親に似るものであり、高望みしても仕方がない」というニュアンスを含みます。

「瓜の蔓に茄子はならぬ」の由来

特定の歴史的背景や物語があるわけではなく、古くからの農業や植物栽培の経験則から生まれた言葉です。

古来、瓜(マクワウリなど)や茄子は、日本人にとって非常に身近な野菜でした。
種をまけば、その親と同じものが実るという遺伝の法則を、誰もが知る野菜を使って分かりやすく表現したものです。

なぜ「瓜」と「茄子」なのかについては定かではありませんが、どちらも夏を代表する野菜でありながら、形も味も全く異なるため、対比として分かりやすかったのだと考えられます。

「瓜の蔓に茄子はならぬ」の使い方・例文

基本的には、「期待しても無駄だ」「親の程度を知れば子の程度も知れる」という、ややネガティブな文脈や、自分の子供を謙遜する場面で使われます。

例文

  • 「うちの息子、またテストで赤点だよ。私の学生時代とそっくり。瓜の蔓に茄子はならぬとはよく言ったものだ。」
    (自虐・謙遜)
  • 「あの親にしてこの子ありだね。瓜の蔓に茄子はならぬ、彼にリーダーシップを求めても無理だろう。」
    (第三者による評価・陰口)
  • 瓜の蔓に茄子はならぬと言うし、高望みせずに家業を継がせることにしたよ。」
    (諦め・現状肯定)

「瓜の蔓に茄子はならぬ」の誤用・使用上の注意点

この言葉は、使い方を間違えると深刻な侮辱になるため、細心の注意が必要です。

他人の家族に使ってはいけない

他人に対してこの言葉を使うことは、「あなたの子供は、あなたに似て大したことないですね(平凡ですね)」と言っているのと同じです。
親と子の両方を同時に貶(けな)すことになるため、面と向かって使うのはもちろん、うっかり口を滑らせないようにしましょう。

  • OKな使用例
    → 自分の子供について、謙遜して言う場合。
     「私に似て不器用で…瓜の蔓に茄子はならぬですよ」
  • NGな使用例
    → 友人の子供について、「瓜の蔓に茄子はならぬだね」と言う。(悪口になる)

「瓜の蔓に茄子はならぬ」の類義語

「子は親に似る」「平凡な親から優れた子は生まれない」という意味の言葉は数多くあります。

  • 蛙の子は蛙(かえるのこはかえる):
    子供は親に似るものであり、凡人の子はやはり凡人であること。また、子は親の歩んだ道を歩むものだという意味。
  • 鳶の子は鳶(とびのこはとび):
    鳶が鷹を生む」の対義語的表現。平凡な親からは平凡な子しか生まれないこと。
  • 種瓜に茄子はならぬ(たねうりになすびはならぬ):
    「瓜の蔓に〜」と全く同じ意味の異型。

「瓜の蔓に茄子はならぬ」の対義語

「平凡な親から優れた子が生まれる」という意味の言葉です。

  • 鳶が鷹を生む(とびがたかをうむ):
    平凡な親から、優れた子供が生まれることのたとえ。
  • 氏より育ち(うじよりそだち):
    家柄や血筋(氏)よりも、育った環境や教育(育ち)のほうが、人格形成に大きな影響を与えるということ。「血筋ですべて決まるわけではない」という意味で、対抗する概念と言えます。
  • 泥中の蓮(でいちゅうのはす):
    汚れた環境(泥)の中から、清らかな花(蓮)が咲くこと。親や環境が悪くても、そこから立派な人物が出るたとえ。

「瓜の蔓に茄子はならぬ」の英語表現

英語圏にも、植物を用いた似たような表現があります。

You cannot gather figs from thistles.

  • 直訳:アザミからイチジクを集めることはできない。
  • 意味:「悪い木から良い実はならない」「因果応報」
  • 解説:新約聖書(マタイによる福音書)に由来する言葉です。トゲのある雑草(アザミ)から、甘い果実(イチジク)は収穫できないことから、根本が悪ければ良い結果は生まれないことを意味します。

An onion will not produce a rose.

  • 直訳:タマネギはバラを生み出さない。
  • 意味:「平凡なもの(嫌われるもの)から美しいものは生まれない」
  • 解説:ラテン語のことわざに由来し、ヨーロッパ諸国で使われます。瓜と茄子の関係が、タマネギとバラになっており、血筋は争えないというニュアンスで使われます。

「瓜の蔓に茄子はならぬ」に関する豆知識

接ぎ木(つぎき)の技術とことわざ

ことわざでは「瓜の蔓に茄子はならない」と断言していますが、現代の農業技術をもってしても、これは正しいのでしょうか?

農業では、病気に強い台木(根っこの部分)に、実らせたい品種の穂木(上の部分)をつなぐ「接ぎ木」という技術がよく使われます。
しかし、通常この技術が使えるのは植物学的に近い種類同士です。
「ウリ科(カボチャやユウガオ)」に「ウリ科(キュウリやスイカ)」をつなぐことはできますが、科の異なる「瓜(ウリ科)」と「茄子(ナス科)」をつなぐことは、拒絶反応が起きるため不可能とされてきました。

ただ近年、名古屋大学などの研究により、タバコ属の植物を接着剤のように間に挟むことで、異科の植物同士を接ぎ木する技術(カボチャに菊を接ぐなど)が開発されています。
将来的に「瓜の蔓から茄子がぶら下がっている」という不思議な光景が実現すれば、このことわざの意味も「あり得ないこと」から「技術次第で可能になること」へと変わる…かもしれませんね。

まとめ – 現実を受け入れつつ、可能性は信じる

瓜の蔓に茄子はならぬは、遺伝や環境の影響を冷静に捉えた、リアリズムにあふれる言葉です。

「どうせ自分はこの程度だ」と諦めるための言い訳に使うこともできますが、「自分にないものを子供に無理強いしても仕方がない」と、過度な期待を手放して親子関係を楽にするための知恵として捉えることもできます。

血筋は変えられませんが、「氏より育ち」という言葉もあります。ことわざはあくまで一面の真理。参考程度に留め、それぞれの個性を大切に育てていきたいものです。

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