意味
「死んだ子の年を数える(しんだこのとしをかぞえる)」とは、もはや取り返しのつかないことを、いつまでも悔やみ続けて嘆くことです。
過ぎ去ったことに執着し続ける虚しさを表しており、悔やんでもきりがないという、当人への戒めのニュアンスを含んで使われます。
語源・由来
「死んだ子の年を数える」は、子を亡くした親のしぐさをたとえにしたことわざです。
亡くなった子供が、もし生きていれば今ごろ何歳になっているだろうと指折り数える親の姿から、取り返しのつかない過去にいつまでも心を残す様子を表すようになりました。
子を失った悲しみという、誰もが共感できる痛切な情景を借りて、後悔や未練の虚しさを説く言葉として定着しています。
使い方・例文
「死んだ子の年を数える」は、済んでしまったことをいつまでも悔やんでいる相手を諭す場面などで使われます。
- あの失敗をいつまでも悔やむのは、死んだ子の年を数えるようなものだ。
- 過ぎたことを嘆いても仕方ない、死んだ子の年を数えるなとよく言われる。
- 別れた恋人のことを考え続けるのは、死んだ子の年を数える行為に等しい。
使うときの注意点
「死んだ子の年を数える」は、死別の悲しみそのものを指す言葉ではなく、あくまで「取り返しのつかないことをいつまでも悔やむ愚かさ」への戒めとして使われる言葉です。
身近な人を亡くしたばかりの相手に対して不用意に使うと、深く傷つけてしまう恐れがあるため、使う場面には注意が必要です。
類義語・関連語
「死んだ子の年を数える」と同じく、取り返しのつかないことを悔やむ愚かさを表す言葉には以下のようなものがあります。
「死んだ子の年を数える」と「覆水盆に返らず」の違い
両者とも取り返しのつかなさを説く点で似ていますが、力点が異なります。
「死んだ子の年を数える」は、済んだことにいつまでも執着する行為そのものを描写する言葉であるのに対し、「覆水盆に返らず」は物事が元に戻らないという事実を端的に示す言葉です。
英語表現
It’s no use crying over spilt milk
「こぼれたミルクを嘆いても仕方ない」という定番の英語のことわざで、取り返しのつかないことを悔やむ愚かさを説く点で近いニュアンスを持つ表現。
Stop blaming yourself — it’s no use crying over spilt milk.
(自分を責めるのはやめなさい。死んだ子の年を数えても仕方ない。)
江戸後期には「死んだ子の年」と略しても使われた
「死んだ子の年を数える」の形は、江戸後期の洒落本作者梅暮里谷峨が文化7年(1810)に出した作品に、「死だ子の年をかぞへるやうに、かへらぬことをおもひだしてはふさぎ」と見えます。
(死んだ子の年を数えるように、取り返せないことを思い出してはふさぎ込み。)
天保7年(1836)刊の人情本『両個女児郭花笠』(松亭金水作)になると、後ろを省いた「死んだ子の年」だけで使われています。
男女の会話で、一方が「こちらの粗相です」と謝ると、もう一方は、悪さを比べれば自分が八分で相手が二分だと言ってから、こう続けます。
此様なことハ死んだ子の年で役に立ねへ理屈だ。
(こんなことは死んだ子の年と同じで、役に立たない理屈だ。)
後ろの「を数える」を言わなくても意味が通じるほど、なじみのある言い回しになっていたことが分かります。











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